2025年12月2日火曜日

新たな取り組みに挑戦!  

キイストンの原点は「求人(人材採用)」です。

原点に返り、時代に合わせた求人戦略を構築するため新たな試みに挑戦します。

他社がやってない、他社ではできないことをトライしていきます。

キイストンだからこそ」を追求し続け 飲食業界になくてはならない企業になる 
 ~一つでも多く圧倒的に強い武器を持ち、 ワクワクしようぜ!ワクワクさせようぜ!~

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン


株式会社ごっつり 代表取締役 西村直剛氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ごっつり 代表取締役 西村直剛氏登場。

本文より~

直剛はじいさん似だから、髷(まげ)が結えなくなるぞ。

青森県は、本州最北端。地図上で東北エリアを観ると、太平洋側、日本海側に分かれて北上する2つの県を1つの県で蓋をしているように映る。
北は津軽海峡、東は太平洋、西は日本海が広がっている。豊かな自然に包まれた、海産物の宝庫でもある。
今回、ご登場いただいた西村さんは、1967年、青森県八戸市に生まれている。
「青森は、にんにくが有名ですが、母の実家があった田子町は、とくに『にんにくの町』として知られています」。
西村さんの母方は、代々、その町の大地主で名主だった。6月下旬。にんにくの収穫期には町内の人たちがあつまり、みなで収穫を行うのは毎年の風物詩だった。
「母は、この青森で小さな旅館をはじめ、ホテル、割烹、ディスコと、次々とビジネスを広げていく、商才ある女性でした。父は、逆に接骨院一筋。スピリチュアルな人で、除霊をお願いされたりしていました」。
ちなみに、お父様はキノコ採りにいった八甲田山で遭難されている。遭難して3日経って発見されたのだが、そのとき「守護霊の存在を感じた」とおっしゃっていたそうだ。たしかに、スピリチュアルである。
兄弟は兄が一人。
「小学1~2年生くらいかな。私がキャッチボールができるようになると、兄が通学路で待ち伏せしているんです。相手をしろってことです」。
小学生の弟にとって、3歳上の兄のボールは強烈だった。グラブを弾けば道の向こうまで取りに行かないといけなかった。
「兄だけが楽しくって。私はつまらない。兄をみつけると逃げ出したくなったほどです」。
だが、そのおかげで野球がうまくなったのは事実。おまけに、からだがでかい西村さんは高学年になると、キャッチャーで4番。怪力だから、バットにボールがあたると外野手の頭を越えた。
野球以外でも、注目されていた。
じつは、相撲大会に出場して負けたことがなかった。
「小学6年生のときに、3つの相撲部屋からオファーがきたんです。『中学を卒業させてやるから、東京に来ないか』って」。
家族会議が開かれた。
「小学生にオファーですよ。あの世界はすごいですね。1979年頃の話です。関取がどんなものか、TVでしか知りません。でも、そりゃお誘いいただくんですからね。関取になれるかもしれないでしょ。どうする? どうしよ? って。話が煮詰まったとき、ばあちゃんが言うんです。『直剛は、じいさんに似ているから、すぐに髷(まげ)が結えなくなるぞ』って」。
父、母、兄が西村さんの顔をみる。
「『たしかに、そうだ』って顔に描いてあるんです。だから、全員一致で、お断りすることになりました」。
家族会議の結果、西村関は生まれなくなったが、かわりに甲子園球児は生まれた。その話は、このつぎの章で。

絵に描いたようなゲッツーで、試合終了。

西村さんは、甲子園の古豪だった八戸高校に進んでいる。県大会の決勝で敗れることが多かったが、西村さんの代には、見事、甲子園出場を果たしている。
相撲部屋から誘いが来た体躯は健在。怪力無双の西村さんだったが、甲子園では先発から外れている。
「怪我がもとで、でれるとすれば、代打。ひとふりの勝負になりました」。実際、9回に西村さんは、バッターボックスに立つ。
「ぼくがバッターボックスに入ると、みんなホームランを期待してたようです。」。
甲子園が声援に包まれる。肩にちからが入る。相手投手の手からボールが放たれる。ワン・ツー・スリー。
「ショートゴロで、絵に描いたようなゲッツーで、試合終了」。
「なんであのとき、ヘッドスライディングをしなかったんだろう。ヘッドスライディングしていたら、絵になっていたのにね」と笑う。
ずうっと怪我ばっかりだった高校野球、試合終了になったが、まだつづきがある。
「毎年、引退試合が行われます。私は、4番DH。1アウトランナー1・2塁、甲子園と全く同じ場面。華々しくレフトスタンドにバットを突き出してホームランを予告します」。
やんややんやの喝采。
「最後の真剣勝負ですが、お祭りでもあったんです。駆け引きなし。ストレートで勝負してくるのはわかっていました」。
初球、相手ピッチャーが渾身のストレートを投げ込む。剛球が、うなりをあげる。西村さんのバットが一閃する。
「あのスリーランは、甲子園でやり残したことを含め、すべて忘れさせてくれた一打でした」。
いまだに酒の席では「あと一球はやかったら同点ホームランだったのに」と言われます。
高校を卒業した西村さんは、気分も晴れて、専修大学に進む。

佐川急便で快走、だが、40代になり、体調を崩し、リタイア。

「かみさんと結婚するまでは、もうむちゃくちゃな遊び人でした」。給料は月100万円オーバー。それが「ひと月でなくなった」というから、当時の様子がおおよそ想像できる。
その一方で、仕事には精をだした。佐川急便のなかでも評価が高く、最終的には上層部のちかくで仕事をするまでになっている。
「でも、ハードな仕事がたたって体調を崩します。救急車にも3回乗った。で、かみさんとも相談して、つぎが決まってなかったんですが、まぁ、結婚してからはお金も貯まっていましたし、いったん静養しようってことになって。それで佐川を辞めて、釣り三昧です(笑)。
釣りですか?
「そうなんです。釣りが大好きで、実は今も釣りの大会に出てて優勝したり。スポーツ紙にも時々取り上げられているんです。あの大魔神佐々木っているでしょ」。
大リーグでも活躍された佐々木主浩さんのことですね?
「そう。佐々木さんも釣りが好きで、プロ級なんです。彼とは先日も日刊スポーツの釣り大会で一緒になって、私が優勝させていただきました。同期で同じ東北ということもあって、話があって。でも、八戸高校知らないって言われました(笑)」。
なんでも甲子園出場校の同期会があるそうで、数年前から西村さんも出席しているそうだ。
「PLコンビは来てないですが。今ではみんないろんな職業に就いていて。おっさんになっての再会も、おつなもんです。交流も広がって。先日もうちの店に作新や帝京、関東一高、東海大甲府などの選手たちが来てくれたりして」。
かつての名プレイヤーたちが、昔話に花を咲かす。
「甲子園のビデオが流れるんです。みんなその映像をみて盛り上がっているのに一人、ムスっとしている奴がいたんで『どうしたんだ?』って聞いたら、『オレ、今映っているあいつにさよなら打たれたんだ』っていうんです。まだ、根に持っているのが面白いでしょ」。
野球。人生のなかで、野球という一つのストーリーが、つながっている。
ところで、飲食は、静養後の話ですよね?
「母親の血もあるし、かみさんも事業をお越し社長をしていたんで、就職してサラリーマンになる選択肢はなかったです。別に飲食でなくてもよかったんですが、たまたま『飲食をやろう』となって」。

・・・続き

PRバナー
キイストンだからこそ」を追求し続け 飲食業界になくてはならない企業になる 
 ~一つでも多く圧倒的に強い武器を持ち、 ワクワクしようぜ!ワクワクさせようぜ!~

(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)