2024年3月7日木曜日

株式会社ソムリエ 代表取締役 守川 敏氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ソムリエ 代表取締役 守川 敏氏登場。

本文より~

マンガ「六本木騎士ストーリー」の主人公。

「父親はエンジニア、母親は高校の教師」と、マンガ「六本木騎士ストーリー」の冒頭で、作者の弘兼憲史さんは主人公にそう言わせている。その主人公が、今回ご登場いただいた株式会社ソムリエ代表の守川さんだ。
「弘兼先生とはたまたまご縁があり、お願いしたところ快諾いただけたんです」と守川さん。守川さん自身、「まさか快諾いただけるとは思っていなかった」と笑う。
実は、弘兼さんと守川さんは、高校の先輩と後輩。学年は離れている。社会人になってから、校長先生の紹介で縁ができたそう。
作中、弘兼さんは、ある人物に「将来、この業界で、六本木の帝王になるかもしれん」と、語らせている。
では、「六本木騎士ストーリー」からはいったん離れ、いつも通り、守川さんを生い立ちから追いかけてみよう。六本木の夜が、リアルに浮かび上がる。

山口県岩国市。

守川さんは、1968年、山口県岩国市に生まれている。守川さん曰く、「米軍基地と、石油コンビナートの町」。父親は、石油コンビナートではたらくエンジニアだった。
岩国市は、山口県と広島県の境にある。年に1回、こどもの日に、米軍基地で子どもたちを招くイベントが行われたそうだ。守川さんも、ご両親に手をひかれ、航空ショーをみた。
青空は、少年時代の象徴だったのではないだろうか。
「小さな頃は、ごくふつうの少年です。小学校は野球、中学でバスケットボール。ただし、後者はタバコがみつかって、クビになってしまいました(笑)」。
ちなみに、中学から中・高一貫の有名な私立に通っている。タバコ1本で退部させられているから、校風がきびしかったのかもしれない。高校では教師の母が教鞭を取っていた。
「母がいる高校に進学するんですが、1年の2学期に、父の転勤があって、私たち一家は東京に移ります」。岩国と東京といえば、700キロメートル超、離れている。
「距離もそうですが、東京は、やっぱりちがう。高校生だって、ちゃんと仕事ができるんですから」。守川さんは、そういって目を細める。

16歳で新宿、17歳で六本木にデビュー。

転入したのは、都立調布南高校。
「ただ、学校には行ってない。もっぱらアルバイトです」。東京の高校に進んだ守川さんは、バイクが欲しくて、アルバイトを開始する。時給600円。「オープンの18時から、翌朝5時まではたらいた」と笑う。
16歳で新宿、17歳で六本木にデビューした。岩国では、タバコ1本で退部になったが、さすが東京はおおらかだ。無事、卒業。
もっとも高校は無事卒業したが、大学は3年で中退している。
「なんとか高校を卒業して、親戚のおばさんに諭されて、美容師になろうと決めるんですが、はたらいたその日にトンズラします(笑)」。
もちろん、許されるはずもない。だから、大学に行くといった。
「一浪して、なんとか日大の理工学部に進学することができました。偏差値36からですからね、相当、勉強したと思うんです」。
合格すれば、ミッション完了。「あとは、夜の世界へ、まっしぐらです(笑)」。
夜の世界を敬遠する人もいれば、ぎゃくに吸い寄せられる人もいる。
守川さんは、ネオンの下に吸い込まれた1人。
「私たちが大学生の時は、バブルに向かって日本が浮かれまくっていく頃です。私は、新宿の『ブスっ子くらぶ』でスカウトマン&ボーイとしてアルバイトを始めます」。
ネーミングが気になって、ググってみると、「ブスっ子くらぶ」はキャバクラのはしりだった。当時、女子大生がブランド化されていて、女子大生と話ができるというコンセプトが話題になったそう。「マスコミにも取り上げられた」と守川さんも言っている。
「私の仕事は、女の子のスカウトです。何も隠さず、スカウトしていったのがよかったのか、いい女の子が仕事をしてくれて、お店は大繁盛します」。
これが、1985年のこと。2年後の、1987年には、六本木の「わたりだこ」がオープン。守川さんは、弱冠21歳で、店長を務めることになる。

弱冠21歳、夜の六本木で、店長になる。

「オーナーに評価していただいて、店長に抜擢されます。でも、店長の仕事は、想像以上にたいへんでした」。
広い店内には、夜の街に選ばれた女性が、40人。統率することをイメージすると、「たいへん」という言葉がリアルな映像に置き換わる。
「当時は、六本木でいちばん繁盛していた」と、控えめな守川さんがいうくらいだから、これは事実だろう。守川さんの名も、六本木の世界に知れ渡る。
「名は多少、界隈で知れたと思います。ただ、毎日、なんらかのトラブルが起きる。そういう時代でしたし、それが六本木という街だったんでしょうね」。
客同士が揉める。
裏社会の人もいなくはない。
大人のシニカルな世界。芸能人も少なくない。お金がまかれれば、何かが動きだす。ケンカと、酒と女と。昼より明るい闇の世界の住人となった守川さんは、このあと、この街の主人公に、上り詰めていくことになる。
ここからの先の話は「六本木騎士ストーリー」を読んでいただいたほうがはるかにいいだろう。ただ、一つだけ。守川さんは、インタビューで、こうもらしている。
「ナイトビジネスを始めたきっかけはやはりお金です。父親がサラリーマンで、たいへんな思いをしていたので、サラリーマンにはなりたくないと思っていました。ただ、夜の仕事はいつかやめようと思っていました。でも、店長に抜擢いただいて、従業員もいるとなると、そう簡単には、さよならができません」。
一度、意を決して、大学に向かったことがある。
「もう一度、しっかりね、大学に行こうと、決意して。で、校門についてびっくりです。その日は、開校記念日でお休みだったんです(笑)」。
大学とは縁がなかったと、守川さん。校門で立ち尽くす、守川さんの姿を想像すると、笑ってばかりはいられない気がした。その日は、冬だったのだろうか、夏だったのだろうか。ネットに創立記念日は10月4日とあった。守川さんに取っては、夜の世界で生きると決めた記念日となる。

・・・続き

株式会社ソムリエ 代表取締役 守川 敏氏

マンガ「六本木騎士ストーリー」

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