2021年8月26日木曜日

祝 850連載 H VIEW株式会社 代表取締役 中田 匠氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”H VIEW株式会社 代表取締役 中田 匠氏登場。

本文より~

天才、スキーヤー。

標高1275メートル。
「清里」駅はJRグループの駅のなかで、日本で2番目に標高が高く、山梨県ではいちばん標高が高い駅として知られている。今回ご登場いただいた、中田氏のご両親が経営しておられたコテージに通じる最寄駅でもあり、清里の文字が示す通り、清里高原の主要駅でもある。
八ヶ岳の中腹だったと中田氏。
標高が高いからか、冬になれば雪が積もった。中田氏が5歳からスキーをはじめたのは、自然な流れ。アルペンスキーでインターハイ入賞、ジュニア五輪にも出場した中田氏だが、本人曰く、注目されはじめたのは高校に進学してからだそう。たしかに、高校3年時に日本で2位になっている。
小学校は全校で100名程度。中学、高校も生徒数は少ない。「スキーといったら盛んなのはやはり長野とか、新潟ですね。山梨はそうポピュラーじゃない。私が進んだ高校には部もなかったくらいですから」。
どうしたんですか?
「ないならつくろう、というわけで創部します。顧問の先生はいるにはいましたが、指導してもらったことはありません。私の場合は、すべて独学です」。
独学? 専門的なトレーニングなし? と聞くと「ええ」と平然と回答する。
トレーニングコーチはいなかったが、この天才アスリートには高校2年生からスポンサーがついたそう。スポンサーのおかげで、カナダやニュージーランドにも遠征している。
「オリンピックは小学生の頃からめざしていました。いつのまにか山梨には敵なしになって。高校では全国でもそれなりの成績を残すことができました。大学は推薦をいただき國學院に進みます」。
間違いなく、将来を嘱望されたスキーヤーの1人だった。だったと言ったのは、大学2年であっさりとスキーを辞めてしまっているからだ。

日本一でも、食べていけない。

「大学2年時に、ある著名な、元アスリートの講演を聞きます」。
名前を聞くと、タレントでも有名な人だった。
「彼はマイナーなスポーツでは、いくら日本でトップになってもアルバイトをしないと食べていけないっていうんです。スキーもむろん、マイナーなスポーツです。そういうことは今まで思いもしていなかったんですが、そう言われると、たしかになって/笑」。
「もちろん、『だからマイナーなスポーツは辞めておけ』って話ではありません。トレーナー向けの講演だったので、スポーツとお金の関係を理解して指導すべきだというお話だったと思います。ただ、私には教訓というよりも、リアルな未来の話でした」。
熱が冷めたと、中田氏はいう。当時の成績は、真ん中くらいか。
「私の場合は単位も怪しくて、そのままでも卒業できたかどうかわかんないんですが、熱が冷めてしまったので、スキーを辞め、推薦で入っていましたから大学も辞めました。スポーツのこれも、厳しい一面ですね」。
ご両親には反対もされたが、本人に未練はなかった。
飲食に進むきっかけもうかがった。
「やはり、アルバイトですね。バイト先は新宿や渋谷にある個室居酒屋。うちの家もコテージを経営していたので、飲食もしていますが、山梨の山奥です。比較するまでもなく、こちらはきらびやかですね/笑」。
じつは、中田氏、このバイト先に就職している。
白銀の世界が、ネオンの世界になった。
興味がわいて、調べてみた。
新宿駅は海抜40メートル。標高と海抜では若干違いがあるが、それでも清里駅との違いは1200メートル以上になる。清里は銀世界というより、雲の上の世界だったのかもしれない。

残り5000円、しかし、望みはある。

「24歳の時に大学時代の友人らと3人で起業します。私は現場を担当し、店舗の立ち上げもすべて行ってきました。結局3年くらい一緒にやって離れます」。
離職の理由は、目指す方向が違ってきたこと。
「私は現場がメインだったこともあり、互いの意識がズレてしまったのかもしれません。仲が悪いわけじゃない。とにかく、そういうこともあって27歳で辞めて、28歳で起業しました」。
独立自体は26歳から意識していたという。「でも、準備はぜんぜんしてなくて、貯金をはじめたのも退職する3ヵ月前/笑」。
本人の貯金は50万円。起業するには雀の涙。「なんとか自己資金を600万円工面して、金融機関から1200万円を借り入れスタートします」。
それが、神保町「Mr,Happy」ですか?
「はい、そうです。40坪、家賃は82万円、社員6名、アルバイト2名でスタートです」。
いかがでしたか?
「白状すると最初はきつかったですね。オープンしたのは日本酒バルです。2月オープンです」。
想定通りにはいかなかった?
「ですね。ただ、売上は悪くなかったんですが、返済がきつかったです。人件費もかかりますから。自己資金600万円で開業したわけですけど、550万は半ば無理やり親族から集めたお金で、毎月100万は返済にあてる約束で借りました。どんな手段を使ってでもお金を集めることは運でもあり努力でもある。
2月にオープンして、3月末の私の預金残高は5000円でした/笑」
ギリギリ、でも理念は曲げない。
「ハッピービュー。それがうちの理念です」。だれもが幸せをビューできる。たぶん、「ビュー」を漢字でいうなら「望」だろう。
とはいえ、どう軌道に乗せるのだろうか?

幸せ計画。

「WEBマーケティングを活用しました。当初はいろいろときつかったですが、結局、マーケティングが功を奏して、年商は1億円をオーバーします」。
5000円からの大ブレイクですね?
「ただ、ターゲットに設定していた27歳OLは、ぜんぜん/笑」。神保町はなかなかきびしいエリアだと聞く。「たしかにターゲットを設定するのが難しいエリアですね。だから、需要と供給がアンバランスになりがちなんです」。
その難しい神保町で1億オーバーは、自信になりますね。2店舗目はいつですか?
「1年後に立川です。1年後は想定通りでしたが、立川は、想定外でしたね。それでも、こちらの業績も悪くなかったです。3店舗目は蒲田。こちらは立地も最高でした」。
立てつづけに、オープンする。
ハッピービュー的にみて、オープンする意味って何ですか?とうかがった。
「まずは、業績の拡大ですね。オープンすることで業績はアップします。むろん、スタッフも採用でき、仲間もできる。風景はだいぶ変わります。ただ、うちの目標は有形ではなく、無形です」。
無形?
「何店舗とか、何十億とかといえば、たしかにわかりやすいし、共有もしやすい。でも、そういうことを追いかけたくて起業したわけじゃありません。難しいとは思うんですが、スタッフたちがうちにいて『幸せ』って言ってくれたらいい。追いかけるなら、そっちのほうが意味があると私は思っているんです。つまり、新たな舞台をつくり、幸せをつくるのがオープンする意味ですね」。
幸せ計画。それは、採用の時点からすでに始まっているらしい。
「うちはいま30名社員がいますが、まだ誰も辞めてはいません。今回、はじめて公募も行いますが、今まではリファラル採用かダイレクトリクルーティングかのいずれか。『こいつなら幸せにできそう』が唯一の採用基準です」。
数値にはしにくいが、数値にできないぶん、真剣。
「離職ゼロというと、みなさん、『待遇がいいんでしょ』とおっしゃってくださいますが、結果としてそうなっているだけで、最初から給料も高く設定しているわけじゃない。むしろ、評価して欲しいのは、そこ」。
みんなが成長している点ですね。
「そうです。まだ30名だからできるのかもしれませんが、私自身が、全スタッフに寄り添っています。希望、目標、そのすべてにです」。
じつは、社員に合わせ、就業スタイルもカスタマイズしているそうだ。なぜ、そこまでするのか? むろん、答えは、幸せな姿をみたいからである。

・・・続き

H VIEW株式会社 代表取締役 中田 匠氏

PRバナー

(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

0 件のコメント:

コメントを投稿