2019年7月9日火曜日

株式会社寿幸 代表取締役社長 田中寿幸氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社寿幸 代表取締役社長 田中寿幸氏登場
本文より~

名古屋、大阪、修業の旅?

今回、ご登場いただいた株式会社寿幸の田中氏は、1977年、福井県越前市越廼村に生まれている。以来、この村は、田中氏を育みつづける。村を離れるのに、父親は大反対されたようだが、もともと都会生まれの母親が賛成してくれたらしい。それで、24歳にして、初めて福井県から外に出る。
最初に向かったのは、母親も暮らしたことがある名古屋市。
「大須観音のちかくに住んで、たこ焼きのお店ではたらきました。その店で1年やった頃、やるなら、本場で、と今度は、大阪に向かいました」。
福井の漁師町から比べたら、名古屋も異様な世界だったが、梅田に初めて行った時には「何かの大きな祭りか?」と思ったそう。平日の話である。
「大阪では、鉄板焼のお店に就職しました。包丁を持ったことがなかったし、料理を学びたかったからです。でも、その店にいたのは、まさかの1ヵ月で、くびになりました/笑」。
「ただ、いまになれば負け惜しみでもなんでもなく、なにか運命みたいなものも感じています。というのも、次の店で、うちの今の、スタイルのもととなるヒントをつかむわけですから。クビにならなかったら、今の創作串はなかったかもしれません」。
たしかに、人生はわからない。
わからないといえば、田中氏の行動もなかなか理解できない。
「そうですよね。だって、私は、結局、何も修業してないで独立したわけですから」と田中氏も同調する。「2軒目の店には、1年間、いたにはいたんですが、最後まで洗い場。でもね、洗い場からずっと観ていたんです。『○○のタイミングで、塩をふるんだな』みたいな、ね。それを忘れずノートに写します。1年でしょ。ページは何ページも埋まります」。
いうならば、これが田中氏の修業。
「洗い場と調理場は、少し離れていたんですが、オレ、めっちゃ目がいいんです。だから、全部覚えられた/笑」。どうやら、そうそう真似ができる方法ではないらしい。むろん、独立に際しては、料理をアレンジした。「漁師町は味が濃いんです。だから、うちのは少し味が濃いです。ほかと比べれば」と田中氏は語っている。

席数売上、飲食店日本一。

4坪9席からスタートした、と田中氏は、創業店の話を語りだす。前オーナーから譲り受けた店だったが、家賃は坪9万円と大阪ミナミでも高いほうだったらしい。
「そういう相場も、断然知らないでしょ。まぁ、そんなもんか、と。設備があるからラッキーくらいに思っていました」。
9席。9人で満席。坪で割れば、1坪2人ちょっと。客単価3000円だとすれば、2人×3000円×3回転で1日1万8000円。30日なら54万円になる。坪売上が54万円なら、悪くない。
「でも、お客様がいらっしゃれば、の話でしょ/笑」。
外も内も同じだから、だれも、経営者がかわったと気づかない。もともと、赤字で、前オーナーが撤退した店だ。好転するきっかけもないまま、時が過ぎる。
「ノウハウもなにもないわけです」。ぜんぶが、ゼロベース。「お客様ゼロ、知りあいゼロ、戦略もゼロ/笑」。ただ、それでも一つだけ、方法があった。
「お客さんが来るまで、店を閉めない/笑」。
ずっと待った。ひたすら待った。
「そんなの戦略でもなんでもないでしょ。でも、朝5時くらいかな。ほかの店が閉まりだすと、行き場をなくした人たちが『ここでもええか』みたいな感じで、来られるようになって。そりゃ、エンジン全開です」。
小学校の先生から一つだけほめられたことがある。
「田中くんは、面白いね」。
「そう、ほめられたのは、それだけです。お笑いの街でも負けません。私のトークは、全身全霊です」。
トークとサービスに惹かれるように、だんだんと通常の時間帯にもお客様が来るようになる、気づくと、連日、満席になっていた。
「250万円くらいですね。それで、いったん頭を打ちます。ふつうならそれで充分なんでしょうが、私は常識を知らないから、もっと行くぞって。どうすればいい? なにがあればいい? と。それで、料理だと思って。今度は、そちらにかけ、トークとサービスと旨い料理です」。
すると、月商は100万円アップし、4坪で350万円を叩きだすようになる。
「このあと2号店というか、いまの本店ですが、こちらで『席数売上、飲食店日本一』となるんですが、1号店のほうも、いま思えば、坪売上は、相当な数字ですね」。
ちなみに、2号店であり、現在の本店が叩き出した月商は、1850万円。1号店とおなじミナミの、ビルの奥まったロケーションで13坪、席数24席。坪で計算すれば、ひと坪142万円にもなる。
日本一だから、当然だが、快挙だ。
「福井の田舎からでてきて、ようやくですが、ひと息ついたのが、この頃」といいながら、まだまだ田中氏の目は未来を見つめている。最後にそんな話を一つ。
・・・続き
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