2018年11月13日火曜日

株式会社NATOMICS 取締役社長 関 斉寛氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社NATOMICS 取締役社長 関 斉寛氏登場
本文より~

チャンネル登録数、1万人オーバー/2018年8月現在

インタビューさせていただいてから、この記事を書くまで1ヵ月程度、空白があった。その間、関氏の動画のチャンネル登録数は1000以上アップし、9月現在、1万人をオーバーしている。
「動画を作成し、アップしたのは2018年からです。実は、昨年、中国の蘇州にある調理師学校にお招きいただいて、その時、動画という手もあるなと思ったのがきっかけ。動画なら何万人もの人を相手にお料理を教えて差し上げられる。その一方で、実は私も楽しんでいるんです。和食の料理人がつくるイタリアンとかね。お店とは違ったアイデアを盛り込んだりして。リクエストも楽しみの一つなんです」。
たしかに、画面に登場する関氏は、楽しくてしかたがないように観えるし、関氏の人間性も、よく表現されている。
「ただ、これでは利益がでないでは?」と貧乏性のこちらは心配になるのだが、「利益じゃないんです。お料理の楽しさをたくさんの人に伝えていきたいんです」と、キラキラした目でいう。たいしたものだ。
今回は、そんなユーチューバー?でもある関氏に話をうかがった。

小学2年、まぐろの漬け丼をふるまう。

父親は、工学博士。人口雪の研究をされていたそうで、現在も大学で教鞭をとられているという。母親は、大手重工メーカーで事務をされていたが、調理師の免許もお持ちだったそうで、関氏も少なからず影響を受けている。
関氏が生まれたのは1984年。小学1年生の時に、厚木から千葉県佐倉市に引っ越している。小学1年生から母の料理の手伝いをし、小学2年生には『まぐろの漬け丼』をつくっていたそう。ともだちが来ると、得意の料理をふるまったというから、筋金入りだ。
スポーツはサッカーにのめり込んだ。スポーツ推薦で高校にも進んでいる。
「でも、高校生になってからは、ぜんぜんサッカーはしなくって。ちょっと悪ぶっていた時代ですね。そっちのほうがもてるかなって/笑」。
軽い気持ちだったのだろうが、一度、悪い方向に進むと、なかなかもとにもどれない。「実は、高校3年になった時には、卒業まで怪しくなって/笑。さすがに焦ります。とにかく『高校だけはでてくれ』と母親に泣かれたこともあって…」。
なんとかしなくっちゃ。ただ選択肢は、そう多くない。
「そのままでは、卒業もできそうになかったもんですから、通信制の『翔洋学園高等学校』に転校しました」。通信制といっても、校舎があった。そちらにも通いつつ、この頃から料理と真剣に向き合いはじめる。

「おいしかったよ」「ごちそうさま」に、魅了されて。

関氏の歩みを伺っていると、まさに「ザ・飲食の戦士」である。
とにかく、料理をはじめた年齢も若く、キャリアも長い。しかも、何より料理が大好き。
料理の前では「無垢」になれる人なのだろう。今日は、どんなふうにお客様が喜んでくださるだろうか。料理をしている間、関氏の頭にあるのは、ただ、それだけのような気がする。
関氏が小学校の頃から友人に料理をふるまっていることはすでに書いた。母親の影響が大きい。
高校1年。サッカーの推薦で高校に進学した関氏だったが、サッカーはそっちのけで、悪ぶるなどしたことも、すでにお話した。ただ、まだお話していないことが一つある。
高校1年からはじめた飲食の仕事である。
「高校1年から、ガソリンスタンドでバイトをはじめるんですが、やっぱりその頃からお料理が好きだったんでしょうね。中華料理店にチェンジして。ハイ、最初はホールでしたが、まかないでチャーハンをつくらせてもらって、それで『キッチンにはいってもいいよ』と。高校3年から通信制の学校に転校したこともあって、べつのお店で仕事をしていたんですが、こちらのお店の店長がお休みの時には、私が臨時で、店長をしていました」。
「おいしかったよ」「ごちそうさま」。料理をつくらせてもらって、そのうえ、感謝も、お金もいただける。こんないい仕事ほかにない。この仕事でやっていこう。
バイトだったが、心は、料理人へ、まっすぐに動きだす。
・・・続き
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