2018年3月13日火曜日

VIVO PRODUCTION TOKYO株式会社 代表取締役 鈴木健太郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”VIVO PRODUCTION TOKYO株式会社 代表取締役 鈴木健太郎氏登場。
本文より~

三重県出身。

愛知県の伊良湖岬に、いいホテルがあった。中学までは、毎年、家族で泊まった。父は工務店を経営していたから、どちらかといえば裕福だった。鈴木氏は、小学校ではサッカー少年団に入り、中・高は、ハンドボール部に入った。「できたばかりだったので弱かったですね」と笑う。
高校は、三重県でも進学校の県立「川越高校」に進んでいる。「あの頃は、将来、飲食事業をしているイメージはまったくなかったですね」。
「1ミリもなかった」そう。
大学は「京都産業大学」に進んだ。住まいは、銀閣寺のそばに決めた。最初は4万円のマンションだったが、「もったい」と1万円の風呂なしの木造アパートに移り住む。
大学時代の思い出はアルバイトと旅行。

中国と旅のご褒美。

写真を観て、中国にひかれた。高校時代の話である。「大学生になったら行こうって、その時から決めていました」。京都産業大学に進み、独り暮らしをはじめる一方で、中国に向かう準備も整えた。もっとも、所持金は10万円。夏までに資金がたまり、長い休みに突入すると、すぐに船に乗った。
「神戸港から、天津に向かいます」。天津は、渤海を奥深く入ったところにある都市だ。「天津から北京に進み、電車でパキスタンとの国境にあるウイグルまで行きました」。
2ヵ月。バックパッカーだ。宿泊するのは、1泊100円の宿。「食べ物ですか、まぁ、いけましたね。ただ、毎日、下痢です。下痢が常態化しているっていうか(笑)」。
翌年もまた中国に向かった。今度は、上海から入った。チベットまで行って、ヒマラヤを超えてネパールに入り、インドまで向かったそうだ。
「アジアは物価が安いから、学生にとってはいちばんいいんです」。中国は、漢民族がたいはんを占めているが、少数民族が多数存在していることでも知られている。
「少数民族系の料理も食べました。日本料理とは、ぜんぜん違うわけですが、抵抗はなかったですね」。好奇心も旺盛だ。中国だけではなく、ヨーロッパへも向かった。
「この大学の時の旅を通じて、やりたいことが明確になりました。一つは、日本のマンガや音楽などのコンテンツを海外に向け、輸出すること。そしてもう一つは、スペインでみたバールですね。あれを、日本でやりたいと思ったんです」。
この2つのプランは、旅がくれたご褒美かもしれない。

日本のコンテンツを世界へ。

「就職したのはカルチャー・コンビニエンス・クラブです」。いわゆる「TSUTAYA」である。「大学時代に、コンテンツの輸出をしようと思っていたもんですから、私には最良の選択だったと思います。ただ、ちょうど上場準備の時と重なって、IPOのプロジェクトに参加することになるんです。すごくいい勉強はできましたが、コンテンツの輸出はできませんでした」。
IPOを果たしたあとは、渋谷にオープンする「TSUTAYA」の立ち上げを担当した。「そうですね。そういう意味では、とても貴重な体験をさせてもらった4年間でした」。
鈴木氏が言う通り、CCC時代は4年で幕を下ろす。
「それからひとつ会社を経て、D2Cという電通とNTTが共同出資した広告代理店に転職しました。昔は30名程度だったんですが、いまはでかくなっていますよね。そちらで4年です」。
28歳。鈴木氏は、会社を離れ、温めていたもう一つのプランを実現するために行動を開始する。スペインで観た「バール」のオープンである。
・・・続き
VIVO PRODUCTION TOKYO株式会社 代表取締役 鈴木健太郎氏
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