2018年3月8日木曜日

株式会社シティコミュニケーションズ 代表取締役社長 三田大明氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社シティコミュニケーションズ 代表取締役社長 三田大明氏登場。
本文より~

400人のBBQ。

牛一頭はおよそ400人分くらいなんだそうだ。
「ある時、『バーベキューをしよう』と誰かが言い出して。ええ、社内イベントです。うちは、社内イベント日本一ですから、スタッフにやろうと言われてやらないわけにはいきません」。
「おまけに奴らは、この時『社長、オレたちのこといつも家族って言ってんですから、オレたちの家族も呼んでもいいっすよね』って。結局、400人に膨らんで。正直、誰が、誰か。部外者が肉を食っていても、わからなかった(笑)」。肉は、「牛角」の本部にお願いする。FCをやっているから、そういうお願いも聞いてくれるらしい。
今回、ご登場いただいたのは、この「牛角」のFCも展開する株式会社シティコミュニケーションズ、代表取締役社長、三田大明氏。もっとも飲食だけではなく、事業の幅は広い、広い。一言でいうならば、エンターテインメントの祖国でもある「ラスベガス」のミニチュア版。三田氏自身は、こう表現している。
「もう20年前から言っているです。みんなで『ラスベガスのようなエンターテインメントな街をつくろうぜ』って。それが少しずつかたちになってきているんだと思います」。
売上高はすでに500億円を超える。ちなみに、グループを形成するのは、株式会社シティコミュニケーションズほか15社。そりゃ、みんながあつまれば、牛一頭も軽くなくなるはずである。

奇跡の子。

三田氏が生まれたのは、1972年。
母親は8人の子を宿したが、無事、生まれたのは三田氏だけだそうだ。「これは、ある意味、私の原点です。なぜ、私だけが無事、生まれたのか。その答えを探すのが、私の人生の始まりだったからです」。
たしかに、確率でいえば8分の1。医師からは「もう無理」と言われていたそうだ。この手で我が子を抱きしめたい、母の切なる思いが奇跡を起こし、この年、三田氏がちから強く、産声を上げたのである。
「母方の祖父は天才的な人で、尚且つ、無類の人好きだったそうです。戦後、食料がない時もトラック1杯分の魚を買ってきて、みんなに配ったりして。そういう武勇伝もある人です。祖父の、天才的な頭脳と性格は、息子たちに引き継がれます。つまり私の叔父2人ですが、祖父の熱い想いを受けて、1人は弁護士になって、もう1人は脳神経内科の世界的な権威です」。
なんともすごい話がでてきた。むろん、その血は三田氏にも引き継がれている。
一方、父方は事業家だった。祖父が不動産の仕事をはじめ、父がそれを拡大した。父親が経営者の時に、もっとも肥大化したのは言うまでもなくバブルの全盛期である。むろん、バブルはあっさりと弾け、爪痕は至るところに残った。三田氏、はたちの頃の話である。

50メートル6秒1。

「小学校からずっと慶應」と三田氏。祖父譲りの明晰な頭脳を持ち、しかも、運動神経も抜群。なかでも足がはやく、中学1年で50メートル6秒1を記録している。背は170センチ以上あったそうだ。
「慶應は、小学校からラグビーにちからを入れているもんですから、足が速い奴は自動的にラグビー部に、という雰囲気なんです(笑)。私は、そのなかでも特別枠に入れられたもんですから、練習もハンパなくって。それで、椎間板ヘルニアになって。」。
椎間板ヘルニアになってからも、医者と「中学3年。この1年だけ」の約束で、楕円形のボールを追いかけた。出る試合、出る試合、勝利をもぎ取った。しかし。宣言通り、その年でラグビーは卒業した。スポーツは断念したが、それでも、頭の方が残っている。
「成績は高校にいっても、なんとかトップクラスです。ただ、高校になると、勉強より遊びばっかりで(笑)」。なんとか成績は維持したが、学校にいるより遊び回っているほうが多かった。「親にもいちばん迷惑をかけたのは、あの頃」と三田氏。しかし、遊びも突き詰めると一つの動機を生むことがある。それが次の話の始まり。

毎日が学園祭。

「大学まで親に言われたとおり進みました。大学卒業後、母から勧められたのは、ある都銀です。でも、なんだか違うような気がしてくるんですね」。
言うならば、父や母が敷いたレール?
「そう。だから、今回も母の勧め通りに、都銀に行ってしまったら、オレの人生って誰の人生なんだ?って。それで、『遊び三昧の日々の延長戦』をやってやろうと思って。そうです、都銀ではなく、株式会社セガ・エンタープライゼスに就職します。当時、もっとも勢いがあった時代じゃないですか。ゲームセンターの出店ラッシュの時です。私は、このゲーセンの店長になるわけです」。
面白くてたまらなかったそうだ。
「みなさんは、ゲームセンターに『遊びに行った』と思っているでしょ。でも、私らからすれば逆なんです。私たちの思い通り、お客様を動かしているんです。アテンションさせて、店内に入れ、1000円を崩してもらって。そう、そこから私たちがしかけたトラップに沿って、次々、ゲームを楽しんでもらう」。
三田氏は、たった100円の重みという。
「たった100円。でも、100円なんです。崩した10枚の100円玉をいかにぜんぶ使っていただくか、それが私たちのゲームなんです。毎日が学園祭みたいなもんで、そりゃ、楽しくないわけはないでしょ。当時は、運営方法もすべて店で決めることができましたら、面白さはハンパないわけです」。
ただ、いくら楽しい言っても、ゲームだから勝敗はある。

格闘ゲーム。

「これは、私が店長をしていたある横浜のゲームセンターのことなんですが。当時は格闘タイプのゲームが流行っていて、それがどこでも、いちばん人気だったんですが、その辺りはちょっとガラが良くなかった。格闘ゲームをやりに来たはずの高校生らが、バーチャルからすぐにリアルな戦闘モードに入ってしまって(笑)」。
「私たちは、その度にすっとんで止めるわけですが、営業時間中常に社員がいるわけにもいかない。アルバイトに対応させるのも無理があって。それで、エリアの責任者に相談して、結局、そのゲームを取っ払ったんです。私はそれ以外の方法で対処したかったんですが、そちらは聞いてもらえなかった。人気ゲームを取っ払ったおかげで、売上は5割減。それでも、とっても平和なゲームセンターになったんです。それは、それは平和な日々だったんですが、ある時、その平和を乱す男が1人、関西からやってくるんです」。
「バリバリのエース」と三田氏は表現する。関西からやってきたのは、群を抜く成績を上げたたしかにエース中のエースだった。赴任して初めての店長会議で、エースが関西弁でまくしたてる。
「リアルファイトに怖気づいて、売上の核となるあの格闘ゲームを取っ払ってしもうた超ヘタレがおるらしいな」。
店長たちの顔を次々、観ていく。たまらず「オレです」と手を挙げた。ののしるような、侮蔑するような眼を向けられる。正確に言えば、敗者に向ける目だった。
事情を知る仲間たちは、三田氏をかばってくれたそうだ。「決めたのは、三田ではない」と。しかし、そんなことでエースは動じない。エースにはエースの事情がある。いうまでもなく、半分に落ち込んだ売り上げを改善させることだ。
・・・・続き
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