2016年7月26日火曜日

パンケーキ王子こと株式会社Ms. 代表取締役 杉本 悟氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”にパンケーキ王子こと株式会社Ms. 代表取締役 杉本 悟氏登場。
本文より~

京都府福知山市生まれ。

「パンケーキ王子」というらしい。「パンケーキのお店を紹介しているうちに、そう呼ばれるようなった」と株式会社Ms. 代表取締役、杉本悟氏は笑う。国内外で年間200軒以上のパンケーキを食べ歩く、パンケーキ大好き人間だ。
杉本氏が生まれたのは、1968年、京都府福知山市。祖父が乾物の卸を行い、後を引き継いだ父が総合食料品卸へと拡大していた。
「祖父や父のDNAの成せる業か、昔から商売っ気があって…」と杉本氏。中学時代に考えたビジネスの話もしてくれた。本の貸し借り。教師にバレそうになって、終了したらしいが、プロデューサーの片りんを伺わせるような話だった。
中学卒業後は、公立の福知山高校に進んでいる。「高校では、真剣にテニスをしていました。京都大会で3位という成績も収めました」。真剣にやれば、テニスはかなりハードなスポーツだ。肉体的にも、精神的にも鍛えられた。

学生時代。1500人参加のイベントをプロデュース。しかし、スポンサーが次々、いなくなる。

大学は、福知山を離れ、大阪の近畿大学に進学する。「父の影響もあり、私自身も起業を志していました」。中学時代に早くも才能の片りんをみせた杉本氏であるが、大学時代に、それが本格化する。
「とにかく2年まで単位をすべて取得して、2年生の終わりにイベントサークルを立ち上げました」。法人化こそしていないが、一般的に言えばイベント企画会社である。
「どのイベントも盛況だったんですが、ある時、大掛かりなイベントで、予期せずピンチに立ちました」。
話はこうだ。
「大型の船を借り切り、有名な芸能人を招いたイベントを企画しました。参加するのは学生1500人。莫大なお金がかかりますが、当時はバブルだったもんですから、いろんな会社がスポンサーになってくださって、資金的にはぜんぜん問題がなかったんです。しかし、昭和天皇が崩御されて、お願いしていた会社が、次々とスポンサーを降りると言い出したんです」。
資金のめどが立たなくなった。スポンサーの資金を前提にしていたため、主催者である杉本氏らが思わぬ借金生活を強いられることになりそうだった。それを救ってくれたのが、大阪のミナミを根城にしたある不動産会社だった。
「その時、スポンサーになってくれたばかりか、いろんな事業を体験させてくれました」。
会社もつくった。
「大学の先輩が社長で、私がいわば実務の責任者でした。飲食店もこの時数軒つくっています」。バブルの時代である。金は底をつくことがなかった。才覚さえあれば儲けることができた、頭と度胸の時代でもある。
就職するつもりはなかった。どう波に乗っていくか。それが関心事だったに違いない。しかし、株式会社パソナの創業者である南部靖之氏に出会って、杉本氏の考えはいっぺんする。

・・・続き
株式会社Ms. 代表取締役 杉本 悟氏
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