2016年7月12日火曜日

有限会社ウィルビー 代表取締役 真瀬浩彰氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”有限会社ウィルビー 代表取締役 真瀬浩彰氏登場。
本文より~

何度も呼ばれた「転校生」と。

サラリーマンだった父親の仕事の関係だろう。学校を転々とした。「3歳まで練馬で、それから茨城。小学3年から鎌倉で、中学2年からは関西です。高校で鎌倉に舞い戻ってようやく落ち着いた感じです(笑)。小さな頃は、何とも思ってなかったんですが、中学2年の時は思春期ってこともあって、さすがにイヤだなと思いました。それでも、向こうに行ったら行ったで、すぐに関西ののりにも馴染めました(笑)」。
小学校の頃は、剣道やスイミングなどを習ったりもしたが、熱中するものは特になかった。鎌倉の高校では、バンドもやった。「当時はバンドブームだったんです。ヘヴィメタルやハードロックを聴いていました」。
仲の良い友人たちとバンドを結成。公民館を借りて、演奏もしたそうだ。「高校時代、勉強はどうでした?」と質問すると、「まったくしていない」という答えが返ってきた。

脱サラ、オーナーとの出会い。

「早稲田に行きたかったんです。高校の同級生も多かったもんですから。でも、現役では届かず、結局2浪しても、早稲田のカベに阻まれ、結局、日大に進みました」。この日大時代、真瀬氏は初めて飲食と出会う。
「そうですね。いちおう4年で卒業していますが、勉強より、バイトや遊びに全力投球でした。学生時代の4年間、ずっとバイトしていたのは、30歳くらいの、脱サラでお好み焼きを始めたオーナーのお店でした」。オーナーの気さくな人柄もそうだが、そのふるまいも格好良く映った。
「自由っていうんでしょうか。アルバイトとも、ほんと気さくに話をして。そうですね。飲食が楽しいと思ったのは、あの時のオーナーがいたからだと思います。そういう意味では感謝です」。
大学生活の最後には友人と2人、はじめて海外旅行も経験した。視野が広がった。

大日本印刷に就職するも、3年で退職する。

就職は、大日本印刷。超大手である。2浪しているから、入社時には24歳。
「大日本印刷に就職して、まずは良かったんですが、どうもサラリーマン生活が肌に合わない。1年くらいで辞めようと思いました。でも、その時は、同期に『1年じゃ、何もわからず辞めてしまうことになる。それは、だめだ』って諭されまして」。
それで結局、石の上にも3年と、同期の助言に従って4年目で退社している。
「私は営業だったんですが、同期の中では成績も評価も良い方でした。仕事も、つまらないというわけでもなかった。ある意味、不満もなかったんです。それでも、このままではという気持ちがあって、それで退職。次の仕事の予定はありませんでした。ハローワークにとりあえず行こうくらいですね。予定していたのは(笑)」。
当時の有り金は、300万円。
もうひとつ、もう一度、海外に行こうと決めていたそうだ。
「私が大日本印刷を退職したのは、27歳の時です。30歳まで何かしたいなというのが、漠然とあっただけです。その漠然とした思いが、輪郭を持つのが、この時の旅でした」。
東南アジア。「シンガポール、マレーシア、タイの屋台でで、食事をしていた時に、これだって思ったんです。この屋台を参考にしたアジア料理のお店をやってみたい、と思ったんです」。

・・・続き
有限会社ウィルビー 代表取締役 真瀬浩彰氏


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