2015年11月10日火曜日

有限会社サンカンパニー 代表取締役 山川大輔氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”有限会社サンカンパニー 代表取締役 山川大輔氏登場。
本文より~

高校卒業までの話。

深谷市は、埼玉県の北部にある。この市に山川が生まれたのは1975年のこと。父は料理人で、山川が小学6年生の時にこの地に中華料理店を開業している。
「私は長男で、妹が2人います。男は私だけですが昔から跡取りということは考えていませんでした。ただ、料理人の父の背中をみて育ちましたので料理には関心があった。といっても、料理を勉強しようと思うのは、まだまだ後の話です」。
小学校の頃の山川は、サッカー少年だった。中学生になってバレーボールに転向する。学業の成績は、平均レベル。つまり、真ん中くらい。「高校生を卒業する時期になって初めて、父といっしょに店をやろうということになったんです」。

父と店を開業するが、意見が合わず、衝突。

高校を卒業後は静岡にある、大手メーカーに就職し、1年間勤務した。
「別にどこでも良かったんです。親父が2人で始める新しい店をみつけるまでという期限付きの就職でしたから」。
1年後、父から「店がみつかった」と連絡が入った。親子2人、ちからを合わせてスタートした。
「でも、親父は職人気質です。料理の腕は凄いんですが、経営にはそれほど関心がなかった。それで、衝突することも多くなって、結局、私は店を離れます」。
思い入れもあった。父を立てなければいけないことも理解していた。でも、店のことを考えると、意見を曲げられなかった。「それで、いったんすべてをリセットしようとオーストラリアに向かいました。一度、行ってみたいと思っていたんです」。

オーストラリアで、20代の起業を決意する。

山川が向かったのは、オーストラリア大陸の北東岸にある、海に面するケアンズという港湾都市である。
「たくさんお金があったわけじゃないから、アルバイトしながら生活していました。現地の人たちと交流したことも、海外から日本という国をみたことも、いい経験になりました」。
滞在したのは1年ほど。山川は「オーストラリアで20代での起業を決意した」と言っている。
数ある転機のうちの一つ。「帰国し、とりあえず『資金だ』と思って、食料品の移動販売を始めました」。
1年間、海の向こうで存分にリフレッシュした後である。やる気も、満々。「人の3倍は働く」と決意し、目標に向かって、がむしゃらに突き進んだ。
2年間で2000万円貯蓄したというから驚きだ。
「そのうち1000万円は結婚資金に充てて、残り1000万円で開業する腹積もりでいました」。この時、山川はまだ23歳である。

父から店を譲り受けて。

結局、山川は27歳で独立する。父の店を引き継いだ格好である。
「移動販売を辞めてから、数ヵ月、いろいろな料理店を食べ歩きました。イタリアンにも興味があったものですから、都内にもひんぱんに出かけました。でも、ここだと思ったのは都内ではなく、熊谷にあるイタリアレストランでした」。
「そちらで3年間、修業させていただきました。ちょうど3年経った頃、親父が『店を建てた時に借りた融資もすべて返済した』というんです。それで『店を手放して農業をしたい』と。ただ、契約を解除するには、いったんスケルトンにしなければなりません。それだけのお金はなかったんですね。で、私にどうだ、と」。
「タイミングが良かったです。幸い、資金もあったので、『じゃぁ、そうするよ』って。もともと親父と2人でやろうと思って作った店です。私が、ちゃんとするまで親父が守り抜いてくれていたのかもしれません」。
うがった見方をすれば、父は、息子に譲るために「農業をしたい」と言ったのかもしれない。同じ店に2人いれば、また衝突するかもしれないと考えて。
ともあれ、山川は父から店を譲り受けた。もっとも大半は改装した。山川27歳、2002年のことである。店名は「楽食空間 山」。中華とイタリアンの創作料理店である。

・・・続き

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