2015年7月28日火曜日

株式会社GREAT SMILE 代表取締役 牟田伸吾氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち” 株式会社GREAT SMILE 代表取締役 牟田伸吾氏登場。
本文より~

空手2段。

「空手は幼稚園からはじめて中学3年生まで。ラグビーは小学3年生から高校まで続けました」。目立ちたがり屋のお調子者だったと、牟田は子どもの頃をふり返る。
 人気もあって生徒会にも名を連ねた。「どちらかと言えば、ムードメーカーですね」と牟田。高校は、ラグビーの強豪校に進学。ベスト8まで進んだ経験もあるチームだった。そのチームのなかでも、ムードメーカー的な存在だったそう。
「小さい頃からスポーツをやっていますが、高校のラグビーはきつかったですね。『辞める』というのがスキじゃなかったから続けているようなもんでした(笑)」。
牟田の父は、刑務官をされていた。厳しい父だったそうである。小さな頃からスポーツで精神を鍛えられ、父からもまたつよい心を育まれた。そういう精神や心がなければ、とっくに辞める選択をしていたかもしれない。
もっともムードメーカーが逃げ出すわけにもいかなかったのかもしれないが。ともかく、スポーツ漬け。それが、牟田の少年期である。
大きな体格をした「やさしくて、ちからもち」。そういう表現がぴったりの少年だったに違いない。

幼稚園の先生に。

「幼稚園の先生になりたかった」と牟田は笑う。子ども好きが、その理由。高校3年の時に思いは膨らみ、保育士の資格が取得できる短大へと進学した。
「父が公務員だったもんですから、私にもそういう道を進ませたかったようです。でも、私は同じ公務員でも、父とは異なることがしたかったので、幼稚園の先生はちょうどいい目標となりました」。
ただし、短大に進学した牟田は、目標はひとまず置いて、バイトに明け暮れるようになる。
「飲食のバイトが大半です。料理を作るのが楽しくって。バイトを掛け持ちしていた時もあるんです」。
短大卒業後は、子どもたちの先生にはならず、年配の人たちをサポートする仕事に就いた。
「老人ホームです。でも、在籍したのは1年足らずです。理事長と反りが合わず、退職してしまいます。それから大阪の堺市で建築リフォームの営業をしていました。この会社で4年ほど勤務しました。東京支社ができたのが、きっかけで私も東京に移りました。24歳で退職した後は、マンションの営業を1年ちかく経験しています」。
1年ちかくと言えば、もう25歳である。飲食や独立というワードはいつ頃から出てくるのだろうか。新井ヒロとは、もうすでに出会っているはずだ。

・・・続き

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