2015年4月7日火曜日

株式会社奴ダイニング 代表取締役 松本丈志氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社奴ダイニング 代表取締役 松本丈志氏場。
本文より~

太く、短く。

松本家は、祖父の代から横浜で飲食店を経営していた。寿司と和食の店。普通なら、長男の松本が三代目候補となるわけだが、そういうビジョンは松本にはなかったそうだ。
「弟が継ぎたいみたいなことを言っていましたし、私は正直なところ全然、興味もなかったんです」。
松本の会話には、パッションとピュアな心が映し出される。純粋であり、情熱的でもある人だ。時には、そういう思いが、松本をあらぬ方向に走らせたこともある。
「中学時代のことです。私は、生命線が短かったんです。で、周りの人間から長く生きられないと言われて。それを鵜のみにして、ならば、太く、短く生きようと決めたんです」。太く、短く。中学時代から新聞配達を開始。親からの卒業も、太く、短く生きるためには、必須の課題だったからだ。
「高校からボクシングを始めたのも、太く、短くの一環です。17歳でプロを目指したんですが、ケガで挫折。今度はスノーボードのプロを目指そうと考え、両親にその旨を伝えるんですが、その時、気の強い親が、『店を継いでくれないか』と、私にはじめて頭を下げたんです」。
三代目になってくれないか、という懇願だった。

修業の始まり。

「そういう懇願を受けて、快諾とは言いませんが、三代目というのが、私のなかに芽生えます。しかし、状況はそうでも、経営者になる気はさらさらありませんでした。ただ、性格なんでしょうね。やるからには、上を目指そうと思いました」。
「やる」と決めたら、やる。松本にはそういう生真面目さもある。修業が厳しいことで知られていた都内の寿司屋の門を叩いた。住み込みである。「住み込みだと逃げ道はないから」である。噂通り、半端ない厳しさだった。
「何度も実家に帰りたかったんですが、息子の決意を知って盛大に見送ってくれたもんですから、帰るに帰れない。誰にも相談できないということもあって、一時期、人嫌いになってしまったほどです(笑)」。
人嫌い。「どうやって治したんですか」と伺うと、「本屋で名言集や哲学書をみつけては、それを読んで考え方を身につけました」との答え。すると、人嫌いが完治したそうだ。
この寿司屋には5年いた。18歳から23歳まで。人生でもっとも貴重な時間を厳しい修業に費やしたことになる。前述通り、人嫌いとも戦った。
余談だが、この5年で松本の後輩はできなかったそうだ。
「なぜかっていわれると単純なんですが、私より後に入った人間は誰一人続かなかったんです(笑)」。
この事実からも、いかに厳しい店だったかが想像できる。その後、松本はどうなったのだろうか。
「5年間修業した後は、プロボクサーを目指す為、ホストの道を選びました」と松本は振り返った。
ホストの時給2,500円、週休2日制という文言が目に焼き付いた。これだったらボクシングと両立できると思ったのだった。だが、現実はそう甘くはなかった。実際入ってみると、日当は5,000円。嘘をつかれた。そんな状況であったが、真面目に仕事をした松本。なんと3週間でナンバー6まで登りつめることが出来たそうだ。「自分より年が若いホストに色々とタメ語で指図されるわけですが、入った以上真面目にやろうと思いました。また要領も良かったんだと思います。結果、良い成績を残すことが出来ました。ところが昼はボクシング、夜はホストとして朝方まで酒を飲むという日々を繰り返していたので身体に無理があったんです」と松本は当時を振り返った。
そんな時に、自分の未来を見つめ直した。そして実家の暖簾を潜ることを決意することになる。


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