2015年1月20日火曜日

株式会社マルコパスタ 代表取締役 マルコ・パオロ・モリナーリ氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社マルコパスタ 代表取締役 マルコ・パオロ・モリナーリ氏登場。
本文より~

イタリア北部ノヴァラの空の下で。

今回、ご登場頂くマルコ・パオロ・モリナーリ氏は、1966年1月4日イタリア北部ノヴァラの伝統的イタリア料理を伝承するモリナーリ家の5代目として生まれる。ノヴァラは、イタリア北部、アルプスの麓にある町だ。
「豊かな自然に囲まれた、ある意味、贅沢な町でした。モリナーリ家は、この町で代々続く料理店で、フランスとイタリアをミックスした料理を出していました」。
マルコ氏は4人兄弟の末っ子。父にも影響されたのだろう。7歳の時に最初の料理を作っている。
「母の誕生日にケーキを作ったんです。初めてフライパンを握ったのもこの時です」。マルコ氏は、父の背中を追いかけていたそうだ。
「父を見て、料理人になりたいと思いました。母の為に初めてケーキを焼いた時から、父の背中を追う旅が始まったのかもしれません」。

小学生のマルコ氏は、日本に興味を持つ。

「7歳の時にはもう、世界を変えられるのは自分だけだという気がしていました。7歳と言えば向こうでも小学生です。授業が終わってから進んで厨房に入り手伝いをしました。もっとも『危ないから』って包丁だけは触らせてもらえませんでしたが(笑)」。
早くから日本にも興味があったそうだ。「興味を持ったキッカケはマジンガーZやアトムです(笑)」。なんと、「水戸黄門」も見ていたそうだ。長じるとカワサキやホンダ等、日本製のバイクにも興味を持った。
後に料理人となり、改めて日本という国を意識するのだが、その下地は小学生の時に既に存在していたようだ。

13歳から始まった修業の旅。

早熟ということではないと思う。だが、マルコ氏は13歳の時に早くも修業の道を歩み始める。父が亡くなり、子どもなりに「家計に負担をかけまい」と思ったことが、マルコ氏の背中を押した。
「父が亡くなってから母は、仕事に出かけるのですが、それ以外にも野菜や鳥を育て家計の足しにしていました」。兼業農家というところだろうか。「仕事に行く前に、作業をしていましたので、肉体的にも大変だったはずです。私たちも甘えているわけにはいきませんでした」。
最初の修業先は、ミラノにあるフレンチレストランだったそうである。少年の目に料理の世界はどう映ったのだろうか?
「正直、いじめを受けました。でも、私はめげすに取り組みました。そして、色々なことが分かりました。シェフの世界でも魂を持ってやっている人と、サラリーマンタイプの人の2種類の人がいるんだと知ったのもこの時です」。
「シェフが目をかけてくださって、半年後、フランスの有名なレストランを紹介していただきました」。
紹介されたものの、行けと言われただけで、マルコ氏自身は紹介先の情報をまったく知らなかったそうだ。貰ったチケットを懐にしまい、段ボールのスーツケース一つ持って向かった。行先はパリ。780キロ先にあった。

・・・続き

PRバナー
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

0 件のコメント:

コメントを投稿