7月26日オープンの坂東太郎グループ蛸屋の新店舗「AOYA CAMPAGNE(アオヤ カンパーニュ)」は隈研吾氏設計で、あんこにこだわった世界初の“あんこバー”のコーナー、スゴい人気のようです!
2023年8月30日水曜日
2023年8月29日火曜日
株式会社フォレスト 代表取締役 石田浩二氏登場。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社フォレスト 代表取締役 石田浩二氏登場。
本文より~昭和の真ん中、1961年、生まれ。
登校すると、先生がバリカンをもっていた。
「高校の時の話です。もともと野球推薦で進学したんですが、目が悪くって。ナイター設備がなかったから、少しでも暗くなるとボールを追いかけることができなかった。だから、進学してすぐに辞めちゃった。髪が長くなるのをまって、パーマをかけて登校したら先生がバリカンをもってきてね」。
元通りですね?
「そうですね。推薦をもらうくらいだから、野球はヘタクソじゃなかった。ただ、中学までの話。中学までは俺より上手なのはいなかったんですが、高校に行ったら、俺がいちばん下手くそだった笑」。
東海大付属浦安高校。プロも輩出している。
それからどうされたんですか?
「付属なんで、勉強はしませんでしたが、無事、大学には進学します。ただ、担任の先生には、お世話になりましたね」。
なんでも進学するために、担任の先生が学級委員にも選出してくれたそう。
「生意気な生徒でしたが、その先生に対してだけは不思議と素直でした。だからか、学校にはちゃんと行ってましたね。しょっちゅう早退していたけど笑」。
今回ご登場いただいた株式会社フォレストの代表取締役である石田氏は、1961年、東京の北品川に生まれる。祖父の代から木材商。兄弟は兄が1人。
「兄は今、区会議員を務めています」。
1961年といえば、昭和ど真ん中。平成、令和と時代は移ったが、今の日本のパワーの源は、やはり昭和にある気がする。
72。現OB会会長のベストスコア。
「大学での専攻は生活経済です。ただ、勉強よりスポーツですね。兄もそうなんですが、2人とも東海大学でゴルフをやっています。体育会系のゴルフ部で、月から金は練習漬け。土日はキャディのバイトです」。
キャディをしていると、夕方からハーフくらいをラウンドさせてくれたという。
「レギュラーにはなれなかったけど、面白い4年間でしたね。今、OB会の会長をしています」。
当時のベストスコアを聞いてみた。
「72かな」と笑う。
ちょうどバブル経済に向かっている時代ですね?
「そうですね。ただ、就職はそんなに簡単な時代じゃなかったんじゃないかな。私の場合、熱海にあるホテルに就職します」。
ホテルマンは何年、されるんですか?
「3年くらいですね。当時はもうバブルだったからね。住宅メーカーに進んだ同級生に話を聞くと、賞与が200万っていうんですよ。俺は、20万円笑。これはホテルマンをやっている場合じゃないと思って。それで、友人の紹介もあって住友林業に転職して営業を始めます」。
華麗な転職ですね?
「バブルの頃だったからね。住友林業も人材が不足していたんでしょうね。私は、住宅展示場で営業をしていました」。
当時は住友林業で役員になろうと思っていたそう。
「本気で、役員になりたいと思っていた。成績も悪くなかったし。26歳の時の年収が1260万円。ゴルフは、社内接待で役立ったかな」。
持参金、6000万円。
「ただ、やっぱり、めちゃくちゃ忙しかったですね。火・水が休みで、お客さんが来るのは、だいたい週末の土曜、日曜でしょ。だから、火水は休んでもいいわけなんだけど、追客をするために私なんかは火曜日も出社して仕事をしていました」。
何しろ目指すは住友林業の役員。
最年少で昇進も果たす。
「住友林業を辞めるつもりは、まったくなかった。奥さんに出会うまではね」。
奥様とはいつ知り合われたんですか?
「彼女とは熱海のホテルの同期って関係です。34歳くらいの時かな、同窓会があって」。
最初は、飲みに行く程度の間柄。ただ、だんだんと距離がちかくなる。
「彼女の父親は旅館を経営していましてね。それが、今のうちの創業になります」。
住友林業の役員の道をすてる、大きな決断ですね?
「そうですね。しかも、6000万円持参しています笑」。
持参金6000万円?
「当時の年商は4億円。ただ、借金が30億円。もうコーナーに追い詰められたボクサーです。にっちもさっちもいかない」。
だからといって、当然のことだが、何もしないわけにはいかなかった。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
2023年8月23日水曜日
株式会社BAKA SOUL 代表取締役 山田能正氏登場。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社BAKA SOUL 代表取締役 山田能正氏登場。
本文より~食事の風景にみる山田家。
食事の時は脇をしめる。背筋はまっすぐと。定規で角度を正された。今回、ご登場いただいた株式会社BAKA SOULの代表取締役、山田 能正氏が小さい頃の、山田家の食事風景である。
「父親は教育委員会に勤める厳格な性格で、就寝時間は9時頃、朝は6時頃には起床と決まっていました」。
「何かにつけ、自由が少なかった」と笑う。高学年になると、自由に溢れた外の世界に興味を持つようになる。
「とにかく、学校が終わっても家には帰らず外で過ごしていました」。
何をされていたんですか?
「外でドッジボールばかりです(笑)」。
親戚が買ってくれるまでゲーム機もなかったし、ギターなど楽器もダメ。外で友達とボールを投げ合うしかなかった。ただし、練習にはなっていたかも知れない。
「たしかに、そうですね。中学に進んでハンドボールを始めるんですが、1年生から試合に出してもらいました。ただ正義感が強く、曲がったことが府に落とせない性格でした。この部活も、活動スタイルが変わり、実は2年生の時に辞めていました」。
それでも、当時ハンドボールが強かった横浜商科大学高等学校にスポーツ推薦で入学している。本人曰く「親と担任との間で勝手に決まっていた」とのこと。冒頭の食事の話と異なるが根っこは同じ。こうあるべきだという敷かれたレールの上を歩き生きてきた。
ハンドボール。ブランク明けエースに勝つ。
一つの反発なのだろうか。ハンドボールのスポーツ推薦入学をした山田氏は、軽音部に入部する。
「ただ、入学から2ヵ月くらい経った頃に顧問に呼び出されて、渋々、練習に参加します。最初は掛け持ちだったんですが、最終的には軽音部を辞め、ハンドボール1本に絞ります」。
中学時代のポジションはゴールキーパー。
「ボールが当たると無茶苦茶痛いんです。だから、やりたくない(笑)」。
それで2ヵ月、顔を出さなかったわけですね?
「そうなんです。でも、顧問に呼び出されて。推薦で進学しているわけですし。仕方なく部活に行くと、テストと称したPK試合を申し込んでくるんですね」。
PK試合?
「私がゴールキーパーです。相手は当時の2年生のエース」。
3年も含め、みんなが見ている中での勝負だったそう。
結果は?
「素直に負けときゃよかったんです。でも、試合だと思ったら、燃えちゃって勝っちゃったんです」。
ブランク明けのキーパーが、エースに勝つ。
「その結果、軽音部との二足の草鞋が許されるんですが、やっぱりハンドボールが好きなんでしょうね。やり始めると軸足がすっかりハンドボールに傾いて、軽音部を辞めます。顧問の先生が理解のある方だったので、キーパーじゃないポジションで使ってくれたこともあって(笑)」。
3年生ではエースのポジションに抜擢される。スポーツ推薦なら内部進学だけではなく有名な大学への道もあったかもしれないが、がさっさと就職に駒を進めた。
「中学のことがあったんで、親がでてくる前に決めちゃおうと(笑)。とにかく、自立したい、そればかりでした。就職すれば経済的にも自立できますから」。
担任と相談し、進んだのは横浜の「住友電工」。いうまでもなくトップクラスの企業である。
合計7社。転職のたびに知人が増える。
「住友電工にいたのは1年くらい。住友電工を辞めて整備士として『ヤナセ』に転職します。杉並区の営業所に配属されて。実はこちらも1年ほどです。そこからCAD設計や佐川急便やリサイクル事業など、個人事業主を含め合計7社くらい転々とします。長いところでは3年、1年ちょっとのところが大半ですね(笑)」。
辞めるという話を聞くと、次々と次の話が舞い込んだ。「じゃあ、次はウチでどうだ?」と。
ただ、誘われるままに転々としていたわけでもない。
「20代半ばの頃ですね。転々としてきたし、性格的に就職より独立がいいんじゃないかなと思いはじめて。それからですね。独立を目指して佐川急便とか、営業とか、そういう給料がいい仕事をはじめ、貯金を開始しました」。
飲食で独立と思ったのは?
「変な性格ですが、社交性はあったんですね。お酒も大好きだったし。今うちの会社には、出資者の一人でもある榊原さんっていう『ローカルダイニング』の社長さんが役員で入ってくださっているんですが、彼が当時、私が住んでいた溝の口で『えんがわ』っていう店をオープンするんです。お店で頑張っている榊原さんを見ていると応援したかったし、同い年ってことも知って。『えんがわ』の常連になり、飲食にもより惹かれていったんだと思います」。
修業はゼロ。経験してきたのは、畑違いの仕事ばかり。
「2009年に武蔵新城で焼き鳥をはじめます。榊原さんからはまだ早いってアドバイスされたんですが。始めちゃいました(笑)。小さな頃から鍵っ子だったこともあって、自分で何もかもしていたんです。お料理では冷蔵庫から食材を引っ張り出して。幼少期からそういう体験をしていますから、なんでもできるって。正直、自信しかなかったですね」。
家賃10万円。24席。順調に滑りだす。
「初月は130万円、それがだんだんとアップし、200万円くらいまでいきました。7社も転々としていますが、そのたびに知人が増えていたんですね。知り合った彼、彼女らも来てくれて。ラッキーですよね。17時~24時まで。F/Lコストも何にも知らない若造が、そう儲かったわけではありませんが、なんとか食べていくことができました」。
ただ、飲食の世界は、そう簡単な世界ではない。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
6つの柱のうち3つが、もう年内目標達成ベースになってきました。
「飲食の戦士たち」が大きな自信に…。
よく、〇〇を1,000食や10,000食食べたや毎日いろんな〇〇を食べてるということで専門家になってる方も多いが、全てこちら主導で行ける。
その点、飲食企業の社長に会うとなると相手がいることなので難易度は高くなるが、飲食チェーン店の社長の生い立ちを取材して1,000社長の記事連載となるとそうはいかない。
「飲食の戦士たち」、現在948連載であと50社強で1,000連載です。
業界絞り、複数店舗運営されてるチェーン店の社長を1,000社となると、なかなかできませんから大きな自信になってます。
今ではとても大きな無形の財産です。
2023年8月19日土曜日
働く社員がもっと充実するため、社員福利厚生に1つプラスを。
働く社員がもっと充実するため、会社の福利厚生に映画やドラマ、アニメも見放題の『Netflix (ネットフリックス)』付けよう。
流行ってるもの、トレンドも知らないとな。
戦略型総合人材採用サービス会社キイストン
2023年8月14日月曜日
「AOYA CAMPAGNE(アオヤ カンパーニュ)」。
