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2019年8月29日木曜日

8月27日(火)発行の夕刊フジに8月にOPENされた小松庵銀座店が取り上げられました!

8月27日(火)発行の夕刊フジに8月にOPENされた小松庵銀座店が取り上げられました

銀座で味わう『TOKYO蕎麦』
「始まりの蕎麦」で知る蕎麦の真骨頂

1922年創業の江戸前蕎麦の伝統を受け継ぐ「小松庵総本家」(東京都豊島区、小松孝至社長、)が、去る8月1日、中央区銀座の中心、4丁目交差点から2分ほどの場所に「小松庵総本家 銀座」をオープンした。
「人を結ぶ蕎麦」というコンセプトのもと、明るく柔らかな光に満たされた店内、3面が特殊ガラスで囲まれた麺打ちスペース、コンパクトなBARカウンター、壁にはアート作品がバランスよく展示され、テーブルや椅子も適度な間隔で整然と配置されており、心地よい空間が構成されている。またフロワー奥には茶室の躙(にじ)り口の戸を思わせる潜り戸を設けて内部にはピアノが据えられた「隠れ部屋」的な空間も大きな特徴にもなっている。
このような特徴を備えている同店では、「和食の職人のほかフレンチ、イタリアンの料理人たちが集まり、蕎麦という素材を大きな視野で捉え魅力を引き出そうという江戸前蕎麦とは違う『TOKYO蕎麦』に取り組んでいます」(小松社長)。
さらに小松社長は「どんな楽しみ方でも構わないと思いますが、産地も味わいも違う2種類の蕎麦を召し上がっていただき蕎麦の魅力を堪能する『はじまりの蕎麦』を提案しています。これは今までにない楽しみ方なので、ぜひ、味わっていただきたいですね」と続けた。
また「銀座」という立地を生かし、美術工芸分野といったような異業種とコラボレーションし『TOKYO蕎麦』に舌鼓をうちながら作品を鑑賞する催事、「隠れ部屋」での集まりや会合など、これまでの「蕎麦屋」にはない広範囲な取り組み、利用も考えられる。こうした可能性も「人を結ぶ蕎麦」という同店の思想に裏付けされたものの一つではないだろうか。
銀座のど真ん中。静寂で洗練された空間に身を置き、吟味をされた素材を使った蕎麦を食べる。こうした「贅沢な時間」を過ごしてはどうだろうか。

 (はじめの蕎麦)
  (奥の隠し部屋)
  (銀座店・店内風景)
 (小松社長と専務)

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2018年12月17日月曜日

12月14日発行の夕刊フジ「over60(ロクマル)世代応援企業30」は、「小松庵」様です。

60代〜70代で頑張ってる人を応援!(キイストン寄稿)

12月14日発行の夕刊フジ「over60(ロクマル)世代応援企業30」第10回(10社/30社)は小松庵様(小松社長)です。
「現在、全従業員は49人で、そのうちシニアの従業員は製粉担当者とドライバーなどをお願いしている2人ですが、今後は積極的に採用していこうと考えています」と語って頂いています。

今回ご搭乗は製粉の責任者である黒澤昌宏氏(60)です。
(夕刊フジより)
「over60(ロクマル)世代応援企業30」の取材を70歳の元編集プロダクション社長の土金さんにお願いしております。
ライター


【氏名】土金哲夫(ツチガネテツオ)
【生年月日】昭和23(1948)年9月25日
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2016年11月29日火曜日

株式会社小松庵 総本家 代表取締役社長 小松孝至氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社小松庵 総本家 代表取締役社長 小松孝至氏登場。
本文より~

小松庵。

3代目である。「祖父が小松庵を創業したのは、大正11年です。祖父から、父へ。そして、私で3代目です。ただ、3人とも性格が違うし、方向も違います。小松庵のDNAは、たしかに継承してきましたが、表現はバラバラです」。
 職人堅気の祖父は、店舗展開に消極的だったが、父親はむしろ出店を積極的に行った。「ある意味、祖父に対するアンチテーゼだったかもしれません」。
蕎麦職人から、経営者へ。2代目の挑戦である。
1992年には、池袋メトロポリタンに出店。1994年には、恵比寿ガーデンプレイスへ。1996年には、新宿高島屋へ出店。2000年になってからも5店舗出店するなど店舗展開を図っている。
一方、孫である3代目小松氏は、先祖返りの部分もなくはない。「私自身、職人ではありませんが、『職人』の考えかたや、在りようにはつよくこだわっています」。
職人の仕事は、「文化をつくる仕事でもある」と考えているからだ。次の言葉からも、小松氏の考えが透けてみえる。
「蕎麦屋は、蕎麦をだしていればそれでいいのか。そんなことを考えているわけですから、やっぱり私も、先代たちとはちょっと違いますね(笑)」。
小松氏が生まれたのは、1953年である。生まれは、駒込。すでに、祖父は「小松庵」を創業されている。「祖父の時代は、とりわけ同族経営の時代です。母は、新潟から嫁いできましたが、祖父にすれば働き手が1人増えたくらいにしか思ってなかったんじゃないでしょうか」。
従業員ならまだしも、家族だから余計始末に悪い。「年間365日いっしょです。逃げられない。家族旅行っていっても、社員旅行でしょ。しかも、社員といっても親戚ばかり。母は、長男の嫁ですから、親戚からも冷たい目を向けられていました」。
創業者である祖父に反発できる者はだれもいない。孫の小松氏にとっても、怖い人だった。小松氏も、小学校に上がる頃には、母同様、働き手の1人となった。
「勉強していたら、祖父に殴られるんです。『頭が良くなったら、蕎麦屋をつがなくなる』というのが祖父の言い分。たしかに、あの時は蕎麦屋になんかなるものか、と思っていました」。祖父は、そんな小松氏の気持ち察し、はがゆい思いをしていたのかもしれない。
「ある日、母が『いっしょに逃げよ』といいました。でも、私たちは、逃げ出さなかった。どこかで、小松庵という店に惹かれていたんだと思います」。
祖父が亡くなり、父が2代目になってからも、母は店のために良く働いた。それをつぶさにみていたのは、小松氏ら子どもたちだけではなかった。「私が、銀行関係の方とお話しするようになった時に言われました。『あなたのお母さんは、ほんとうに良く働く人だ。小松庵を支えてきたのは、間違いなくお母さんだ』ってね」。
ちなみに小松氏母は、今もお店に出られることがあるそうだ。
時代は、大正から昭和、平成と移っている。新潟から嫁いできた母がみた当時と比べ、「駒込」の風景はもちろん、「小松庵」もまた、まったく違う姿をしているはずだ。

蕎麦屋の3代目の挑戦。

大学時代まで、ぱっとしなかった。外交的でもない。女子とわいわい騒ぐということもできないタイプだった。「大学で初めて、生涯の友ができた。それが、今の妻です(笑)」。
小松氏は、青山学院に進学。青学で始めたオーケストラで知り合ったそうだ。「それまで、何か楽器をしていたかというと、ぜんぜんそんなことはなかったんですが、突然、やろうと思ったんですよね。なぜか」。踏み込んだ先に、奥様がいた。音楽にもむろん惹かれた。文化への傾倒も、この頃に始まったのかもしれない。
「怠け者だが、凝り性」と小松氏は自己分析する。怠け者のほうはともかく、凝りだしたらとまらない。余談だが、30歳から始めたテニスでは、コーチを務めるまでになっている。その頃には、だれかれともなく言葉を交わす外交的な性格になっている。これも、たぶん奥様のおかげである。
小松氏は、1977年、同大学の理工学部、物理科を卒業している。大学出身の飲食経営者は少なくないが、理系というのはめずらしい。「ものごとを論理的に考える癖がついてしまっている」と笑う。だから、知り合った頃には、偏屈な奴と思われる時もあるそうだが、交流が深まれば、たいていの人は小松氏に好意を持つ。「経営者の多くは、現象を観る。私が観るのは、原理です」。
心ある人は、小松氏の言葉にいつか耳を傾けるようになる。ある会合に参加した時もそうだった。最初は、言葉がまるでかみ合わなかった。ただ、「2年で本質的な議論ができるようになった」と小松氏はいう。
「旨ければいい」。それでは「旨い」という現象にしか、目が向いていない。店は、存続しなければならないし、儲からなければならない。そうしなければ、文化を継承する職人も、生まれない。
「蕎麦屋は、少なくなっているんです。『それは、なぜか』を根本から考えないといけない。つまり、減少という事象のみに目を向けるのではなく、原理から考えないといけない。労働環境もそうでしょう。でも、それだけではない。文化や、時代背景など、実は、社会の体制にまで手を突っ込んでいかなければ、解決できない問題なんです」。
むろん、蕎麦屋が自らできることは限られている。だからといって、放っておくことはできない。3年前リニューアルした「総本家 小松庵 駒込本店」は、小松氏のひとつの挑戦だ。
ネットなどで確認いただきたいが、蕎麦屋という外観ではない。小松氏自ら「蕎麦屋っぽくないようにした」と豪語する。外観は、高級レストランに近い佇まいである。「つくりたかったのは、非日常」。けっして安くはない。ランチでも3500円。それでも、客は溢れる。
「蕎麦っていうのは、旨いだけでは経営が難しいです。旨いのはもちろんですが、それだけではだめってことです。安ければいい、でもない」。では、どうすればいいのか。その答え探しのために、小松氏は、新たな挑戦を開始したに違いない。


・・・続き
株式会社小松庵 総本家 代表取締役社長 小松孝至氏
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