2019年9月10日火曜日

株式会社コジマ笑店 代表取締役 小嶋崇嗣氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社コジマ笑店 代表取締役 小嶋崇嗣氏登場
本文より~

中学生、月数十万円、儲ける。

稲藁に移った炎で、鰹を炙る。これが、土佐の鰹のたたき。コジマ笑店の名物でもある。さて、今回は、そんなコジマ笑店の代表取締役、小嶋崇嗣氏にご登場いただいた。
小嶋氏は、1977年9月9日生まれ。2人兄弟の弟。兄とは6つ離れている。「親父はIT系の会社に経営していて、いっときは羽振りもよかったんですが…」と小嶋氏。
正確な記憶はないが、父の仕事がうまくいかず、父と母は別れ、母と子ども2人は都内から離れ西に向かったそうだ。これが小学生の頃の話。
「私が中学生になった頃には、兄はいませんし、母も夜まで仕事をしていましたので、我が家に人はいない。昔は母にピンタされたこともあったんですが、中学にもなると、こちらも大人ですからね。いろいろ認めてくれて、とにかく自由です。うちにも勝手にともだちが入って来たりして。そうそう、ともだちに料理をふるまって褒められたのも、この頃のことですね」。
アルバイトを始めたのも中学から。
「土建業です。給料はいいですよね、肉体労働ですから。当時は、財布にはいつも数万円入っていました。学校より断然、バイトが楽しかったですね。だって、いい月には数十万円です。学校に行ってられないでしょ。とはいても、学校に行かないわけにはいかないから、自動車の整備学校に進みます」。
なんでも小嶋氏、整備士の資格ももっているそうだ。

楽コーポレーションとの出合い。

自動車の整備学校を卒業したが、仕事に就いたのは、またしても土建業。「何しろ給料がだんぜんいいんです。月50万円っていうのもあったし。それに、でっかい建物が建っていく様子は、やっぱりすごくって。俺らの仕事ってかっこいいじゃんみたいな、ね」。
18歳になると、車の免許を取って、さっそく、チェロキーを購入した。「充実しているはずだったんですが…」と小嶋氏は笑う。
「なんでかな。ともだちが『楽コーポレーション』ではたらいていて、なんでかわからないんですが、一発でその姿に感化されちゃんです。まだ、ハタチになっていないんですが、『楽』って会社に酔っちゃたんでしょうね。土建業のほうはすぐ退職して、『楽』に入ります。もっとも最初の3年間はアルバイトです」。
衝撃は受けたが、社員になる気はなかったそうだ。
「そうですね。だいたい性格的に人の下ではたらくってことができないんです。だからって、アルバイトでもそうなんですが/笑」。
当時から独立は考えていましたか?
「ええ、経営に興味があったわけではありませんが、そんな性格なんで、独立はずっと考えていました。『楽』にいると、順番に先輩たちが独立していきますからね。そういう先輩の背中を観ていたというのも大きいんでしょうが」。

バイトから社員へ。

「接客が何より楽しかったですね。お客さんといっしょに楽しむっていうのが、『楽』ですから。ただ、給料は半分くらいになっちゃいましたし、よくやったと思います」。
「楽」では、接客だけではなく、調理も学んだ。それ以外にも、「経営的な数字も自然と修得できる」という。だから、独立するちからが数年で育つ。
「社員になったのは、『楽』でいちばん信頼していた先輩の店に異動した時ですから、私が23歳の時ですね。新店、立ち上げの時です。じつは、その先輩には辞めることを話していましたから、『どうせ辞めるんだったら、最初だけ手伝ってよ』って誘われたんです。ええ、まんまと騙されて、社員になります/笑」。
「ただ、立ち上げは初めてです。だんだんお客さんがついていく。そんな様子を観ているのは、最高でした。最初から爆発したわけじゃなく、だんだんお客さんとのコミュニケーションも深まって、そうやって常連さんが1人、また1人と。それがとても新鮮でしたね」。
飲食経営の楽しみとだいご味。経営のノウハウと同時に、小嶋氏は、そうした飲食ビジネスのもっとも重要な部分をを経験する。

下を育てるのが、独立の準備の一つ。

「26歳になって、もう一度、辞めようかなって思うんです。ただ、26歳で店長にも昇格して、それで腹を決めて馬車馬のように仕事をしました。だって、負けたくないし、期待にも応えたいでしょ。だから、売上を上げたい一心で頑張りました」。
月商のアベレージがすぐに引き上がった。しかも、アップ率150%。「800万円だったのが、1200万円以上になりました。店長で売上はかわるのか、ですか? かわります。とくに、『楽』は人対人ですからね。それだけお客さんは、我々のこともみてくださっているということですよね」。
もちろん、「楽」での経験はいまも小嶋氏の背骨を貫いている。
「私が独立したのは34歳の時です。だんだん、独立っていう時期が、わかってくるんです。だから、独立してもいいように下を育てます。もちろん、私もそうしました」。
「いっしょに」とねがうスタッフもいたが、「楽」からは、1人として連れていかない。小嶋氏の矜持だった。「いつまでもいい関係にいたいでしょ。15年くらいはたらいた会社なんだから」。
・・・続き
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