2018年5月15日火曜日

株式会社GRAST 代表取締役 和田賢次氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社GRAST 代表取締役 和田賢次氏登場。
本文より~

やんちゃな力持ち。

むかつくと、スグに手が出た。小学生の頃の話である。担任からは「あなたはもう大人のちからなんだから、加減しなさい」と注意されたそう。いま身長は180センチだが、当時から背が高く、ちからが人一倍、強かった。そのうえ、とにかく喧嘩ぱやい。
「小学3年で埼玉に引っ越すんですが、転校初日から、むかつく奴がいたんで殴っちゃいます。そういうこともあって、一時期、仲間外れにされてしまうんです。あの時は、さすがに参りました。誰もいないって、こういうことなんだって。それで反省して、だんだん大人しくなっていったような(笑)」。
喧嘩では大人しくなったが、3年生からはじめた野球では、試合の度に大暴れした。「小学校の時は、それなりに評価されていたと思います。もちろん、小さなエリアで評価されていただけですが」。

大逆転劇。

「そう、小学校では、少しばかり評価はされていたんですが、中学になるとぜんぜんです。ピッチャーで、四番。あ、一時期、センターも守っていましたが、だいたいピッチャーです。もっともノーコンなんですが」。
野球が人より巧いかどうかでいえば、少し、巧かった。ただ、少しのレベル。にもかかわらず、突然、「甲子園へ行こう」と思う。
「私の2つ上に近鉄に行かれた吉岡さんがいらっしゃるんです。甲子園に出場した帝京の試合で吉岡さんを観て、『これだ』って思うんですね。だから、めざすは甲子園。進むのは、帝京です」。
その話を聞いて耳を疑った。帝京高校といえば、スーパースターばかりのはずである。目立たない、野球少年が入れるはずがない。「そうなんです。セレクションではもちろん落ちます。セレクションを『落ちる』というのは、入学も『あきらめろ』ってことなんです。だって、一般入学となると偏差値60です。とんでもないカベです」。とんでもないのは、野球のレベルで言ってもおなじではないのだろうか。だが、和田氏はそうは思わない。
「それで、生まれてはじめて猛勉強です。私にとって偏差値60なんて、ぜんぜん手が届かない。それでも、あきらめなかった。結果、一般で合格して、野球部に。そしたら、私を落とした監督が目を剥いて、『なんで、お前がいるんだ』みたいなね。ええ、大逆転勝利です」。
たしかに、大逆転である。しかし、まだ帝京に進んだだけ。いまからが本番だ。甲子園。セレクションにも落ちた選手になにができるんだろうか。

エースで、四番。帝京高校の伝統をつぐ。

「中学時代にもおなじチームに私より、巧い奴はたくさんいました。でも、あいつらは有名な高校に進まなかった。もちろん、私なんて、声がかかるような選手じゃない。高校に入れば、さらに巧い奴ばかりです。でも、なんでしょう。動揺もしなかった。相手が巧いかどうかっていうのも、ピンとこなかったんでしょうね」。
「そりゃ、練習はしました。練習は8時くらいに終わって、そこから筋トレです。通学は1時間少し。授業中が、睡眠時間です」。
名もない選手が、実は、2年から控え投手となって春・夏の甲子園でベンチに入り、3年の秋大会ではエースで四番となった。「私らの代がいちばん、あかんかったんです。エースで四番っていうのは、帝京の伝統なんですが、そのエースで四番の私がだめなんですから」。
秋大会では国士館に、13対6という大差で負ける。和田氏の世代は、これで、終焉である。「スピードは、140キロは出てなかったですね。コントロールもよくなかった。打つのはいい。たしかに打ったらとぶ。それでも、ホームランは20本くらいです」。充分である。しかし、和田氏の高校野球は、幕を閉じる。ただ、それでも、ふつう考えれば凄いの一言である。名もなきところから、トップまで登り詰めたのだから。結果だけではない。何より凄いのは、心を折らなかったことだ。
「あの時くらい、しんどく、辛かったことはないですね。練習だって、そうです。あれ以上、辛いと思ったことは、まだないです。もちろん、国士館に負けた時もそうですね。べつに不調じゃなかった。好調なのに、どこに投げていいかわからなくなってしまった。そんな経験もはじめてでした。辛い経験です。でも、そのおかげで、何があっても、もう心は折れない」。
大会で負けたその日、ベランダで、1本の「たばこ」を吸った。はじめて吸った「たばこ」は、どんな味がしたのだろう?
・・・続き
株式会社GRAST 代表取締役 和田賢次氏

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