2016年11月15日火曜日

株式会社ゼットン 代表取締役社長 鈴木伸典氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ゼットン 代表取締役社長 鈴木伸典氏登場。
本文より~

「たばこ」と父の鉄拳制裁。

鈴木氏は、1971年10月23日、岐阜県の現山県市に生まれる。
「山県市は繊維の町で、うちの家も祖母の代から縫製加工業を営んでいました。父は苦労人で、母と見合いで結婚し、婿養子として事業を継ぎます。私自身は、小さな頃から裕福な家庭だったものですから、苦労知らず、でした。勉強もできたし、小学校の頃から児童会長などの役職にも就いていました。周りのみんなが、持ち上げてくれていたんだと思います」。
中学でも成績は良く、みんなに慕われた。高校は、自由な校風に惹かれ「岐阜北高校」に進学する。
「父との思い出はいっぱいあるんですが、いま思い出すのは、高校1年の時のことです。たばこを吸っているのがばれて、目の玉が飛び出すくらい往復ピンタを食らいました。いま思えば、あれだけはったら、父の手も痛かったはずですよね」。
もともとは温厚なタイプな父親なのだという。
「でも、あの時は違った。父親は小さな頃から苦労しているから、社会のルールに従わないと烈火のごとく怒りだすんです」。

「嘘はつくな」「友だちは大事にしろ」。父親はそう言いつづけたそうだ。その躾が、いつしか鈴木氏の背骨となり、からだを貫くようになる。

DCブランドと鈴木氏。

「大学は愛知大学へ進みました。大学ではアルバイト三昧です(笑)」。高校時代から、洋服が好きだった鈴木氏は、当時、流行っていたDCブランドショップで勤務する。
「ファイブフォックスのコムサデモードです。大学1年の時から3店舗を掛け持ちしていました。というのも、アルバイトなんですが、売上が群を抜いていたんです。それが評価されて、社員が休みの時になると駆り出されるんです」。
「名古屋パルコでしょ。岐阜パルコと、栄ノバっていうDCブランドの商業ビルがあって、その3店をぐるぐる、ぐるぐる(笑)」。
服も好きだし、面白いように売れたから、仕事が楽しくないわけはなかった。そのうえ、会社からの評価も高い。しかし、人間関係にイヤケがさした。
「私が担当していたのはレディースだったんです。スタッフは大半が女性です。う~ん、ちょっと…、いや正直に言えば、当時は、かなりドロドロしていました」。
それで退職し、今後は、喫茶店でアルバイトを開始する。喫茶店というと古めかしい響きだが、こちらも、コムサデモードに負けずおとらず時代の最先端だったようだ。「いまでいえばカフェのハシリですね。名古屋でも有名なお店でした。この店で勤務していたことで、稲本とも出会うんです」。

クラブ・ディスコで出会った1人の青年。

「ナンパのための基地としていたクラブ・ディスコがあって、その店のバーテンダーが稲本だったんです」。
当時、「プリンセス大通り」は、夜になるとナンパ通りと化していたそうだ。喫茶店で勤務していた鈴木氏は、友だちとともに、夜な夜な、このナンパ通りに出没する。その時、行動の起点となったのが、そのクラブ・ディスコだった。
「稲本は、当時、プロダクト・デザインの仕事していたんですが、夜になるとクラブに現れ、バーテンの仕事をしていたんです。その時、初めて彼と出会いました。彼は、名古屋造形短大出身。現在の専務も、同じ大学で、稲本とは先輩・後輩。当時、稲本が25歳で、現専務が23歳。私が21歳の時でした」。
20歳を超えたばかりのとんがった学生をみて、稲本氏はどう思ったのだろう。2人は、しばらくして、打ち解けるようになる。
「私は、父との約束で『出会った人を徹底的に大事にしろ』という言いつけを守っていましたから、稲本との出会いも絶対大事にしようと思っていました。とはいえ、こんなに長い付き合いになるとは思ってもいませんでしたが」。
出会いは、人を育てる。ただし、それは、いかに、出会いを大事にするかで決まるのかもしれない。

・・・続き
株式会社ゼットン 代表取締役社長 鈴木伸典氏
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