2016年5月23日月曜日

ドリームフーズ株式会社 代表取締役社長 山本英柱氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”ドリームフーズ株式会社 代表取締役社長 山本英柱氏登場。
本文より~

愛知県一宮市に生まれ。

山本氏は、1975年、愛知県一宮市に生まれる。父は、銀行員。住まいは、祖母がかつて経営していた喫茶店の2階スペース。
「ナポリタン用の鉄板やパフェ用のグラスが残っていたもんですから、愛知県の定番メニューの鉄板ナポリタンやチョコレートパフェをつくってもらっていました」。
父は銀行員だったが、幼少の頃はけっして裕福ではなかったそうだ。
「建物はボロボロ、隙間風がピューピュー吹いていました(笑)」。
雪の日には、カベの隙間から雪まで吹き込んできたそうだ。
銀行員というくらいだから、堅実な父親像が思い浮かぶが、山本氏が10歳の時に父(現会長)の山本一は脱サラを決意する。
破天荒な決断か、それとも、ち密な計算のうえの決断か。山本氏は、「とにかく、一念発起して、飲食の世界に飛び込んだ」と表現する。
つまり、「ドリームフーズ」の創業は、山本氏が10歳の時にまで遡ることができる。

1日、1000人のモンスター店舗が、ちゃんぽん亭事業開始の号砲だった。

さて、山本氏10歳の頃まで遡り、父親、山本一氏が起業する経緯をみてみよう。
山本一氏は、一宮市から遠く離れた彦根市で事業を開始する。
「『彦根駅』の目の前に『麺類をかべ』という小さな食堂があったんです。うどんやそば、丼ものを提供する大衆的なお店でした。父がそのお店に偶然立ち寄ったことが、そもそもの始まりです」と山本氏。
「当時、仕事の都合で滋賀へ出張する機会があったそうです。地元の方から『をかべ』のちゃんぽんが旨いと評判を聞き、グルメな父はどうしてもそれが気になって、わざわざ彦根に立ち寄り、をかべの行列に並んだんです。ちゃんぽんを食べている時に、店内にいた知人を見つけたんです。父が何気なくその方に声をかけてみると、なんと『をかべ』の店主だということが判明。すると、『店舗の後継者を探している』と切り出されたんです。まさかの話の展開に驚きながらも、何か運命的なものを感じて、すぐに『それなら自分が!』と手を挙げたそうです」。
「もともと家業が喫茶店だっていたもんですから、飲食に抵抗はなかったのでしょう。銀行員ならではの計算もあったと思います。父の言葉を借りるなら『とにかく、をかべのちゃんぽんが気に入ったから。その味に人生を賭けてみたい』と決断したそうです」。
「をかべ」の経営を引き継ぎしばらくして、山本一氏は、店にアレンジを加え、「ちゃんぽん」を主力メニューにした新店を彦根の郊外にオープンする。
「麺類食堂」から「ちゃんぽん専門店」への切り替え。息子の山本氏にも、味見をさせている。「いつだったか、連れていかれて、食ってみろって(笑)。当時の私は野菜ギライだったんです。うちのちゃんぽんって野菜が多いでしょ、だから最初は、そっと横に…。でも、父が野菜も食えっていうもんですから、食べてみると、これがぜんぜん旨いんです」。「野菜特有の青臭さを感じなかった」と山本氏。ペロリと完食した息子をみて、父の山本一氏は、さぞ笑みをこぼされたことだろう」。
「この店が大ヒットするんです。更地から新規開発したロードサイド型『ちゃんぽん亭1号店』は、最盛期には1日1000人を超えるくらい繁盛しました。50席ですから、朝から晩まで文字通りフル回転です。人手が足りずに母と姉2人も手伝いに行きました」。
これが、「ちゃんぽん亭」事業始まりの号砲となる。
をかべを引き継いで3年後、1988年のことだ。

「近江ちゃんぽん」のはじまり。

山本氏は「近江ちゃんぽん」の展開を3つのフェーズに分けて説明する。
「1963年の創業から1988年までの25年間が第1フェーズの『をかべのちゃんぽん時代』です。そして、1988年にちゃんぽん亭1号店が開業してから2004年まで、滋賀県内でのローカル展開を進めた16年間が第2フェーズの『彦根のちゃんぽん時代』です。そして2004年に県外1号店の出店から2016年現在が第3フェーズ。これが『近江ちゃんぽん時代』です。実は2004年まで『近江ちゃんぽん』という言葉はなかったんです。つまり、2004年から『近江ちゃんぽん』はスタートしているんです」。
「黎明期」「創業期」、そして「成長期」というところだろうか。ところで、どうして『近江ちゃんぽん』というネーミングとなったのだろう。
「1日1000人からわかる通り、彦根市や、滋賀県内では受け入れられた当店のちゃんぽんが、県外に行くとどうも勝手が違いました」。
「2004年に、初めて京都の大型SCに出店するんですが、その時、あるお客さまから『こんなのは、ちゃんぽんじゃない』と否定されてしまうんです。おそらく、とんこつや鶏ガラベースの『長崎ちゃんぽん』をイメージされていたのでしょう。そういうこともあって、『ネーミングやブランディングをちゃんとしないといけないな』となって。では、どうしようかと。『彦根ちゃんぽん』や『滋賀ちゃんぽん』というアイデアもありましたが、近江牛、近江商人など響きの良さから『近江ちゃんぽん』にしようと入社したての私が強く主張しまして、ネーミングが決定しました(笑)。だから『近江ちゃんぽん』の歴史は、そう長くはないんです」。
いまや全国ブランドになりつつある「近江ちゃんぽん」。その起点となったのが2004年。この年、山本氏が入社している。

・・・続き
ドリームフーズ株式会社 代表取締役社長 山本英柱氏
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