2016年1月19日火曜日

株式会社レストラン京王 取締役社長 山岸真也氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”「カレーショップC&C」や京王沿線中心に停会されている株式会社レストラン京王 取締役社長 山岸真也氏登場。
本文より~

レストラン京王について。

1968年の創業より、東京で暮らす、また東京を訪れた人たちに愛されてきた名店が「カレーショップC&C」である。
現在は、チェーン化され、京王線沿線に20店舗まで広がっている。この「C&C」以外にも、コーヒーショップ事業をはじめ、蕎麦店、給食コントラクト事業などを展開しているのが、株式会社レストラン京王である。
1976年設立の老舗企業でもある。
今回登場いただいた山岸氏が、株式会社レストラン京王の社長に就任したのは、2013年6月。山岸氏がちょうど50歳の時である。

ライパチ君。

山岸氏が生まれたのは、1963年8月10日。「品川生まれ、調布育ち」だそうだ。
元気な少年だったのだろう。「毎年、夏休みは、母の実家がある宮城を訪れ、1ヵ月くらいは平気で向こうで暮らしました」。兄弟は3人。山岸氏が長男で妹、弟がいる。
大好きな野球は、小学校から始めた。調布には、有名な調布リトルがある。「もっとも、私には別世界。あちらはエリート集団ですから(笑)」と山岸氏。野球は好きだったが、所属していたのは、町内の野球チームで、それも8番、ライト。お世辞にも野球が巧かったわけではなさそうだ。
しかし、山岸氏はめげることなく高校まで野球をつづけている。守備位置はライトからセカンドにかわり、打順は8番から2番に昇格したそうだ。

郊外へ、郊外へ、人と暮らしの輪が広がる。

「早稲田が第一志望だったんですが」と山岸氏は笑う。進学したのは、父親とおなじ明治大学。ところで、山岸氏が大学生だったのは、1980年の初頭である。日本経済が爆発的に伸長する時代でもある。東京郊外にもニュータウンが次々と建設され、それに伴い鉄道路線も日に日に延伸されていった。山岸氏は、そういう時代をみてきた。それがいずれ、鉄道会社に就職するきっかけとなったのかもしれないが、ここではひとまず大学時代の話である。
大学時代は、とにかくいろんなことをした。夏はプールの監視員、冬はスキー、テニスサークルにも所属していた。
「新宿の西口から出るバスに乗り込んで、スキー場に向かうんです。日曜から金曜までスキー場にいて、土曜に母に洗濯をお願いして、また日曜には、出発です(笑)」。
小学校の頃はスポーツがそれほど得意ではなかったが、高校まで野球をつづけたおかげで、バランス感覚も育ったのだろう。スキーも、水泳も、テニスもできるようになった。

当時、花形の開発部門に進みたかったが、配属されたのは、バス部門。

大学時代に、何か資格をと考え、山岸氏は、宅建主任の資格を取得している。「電鉄」「開発」という言葉が頭にあったからかもしれない。都市が開発されていく様子を、スキー場に向かう車窓から眺めたことが、そもそもの引き金だったのかもしれない。
ともかく、バイトにスキーに、テニスに明け暮れた大学時代が終わる。
「当時は、バブルに向かっていくこともあって、まず金融でした。倍率も高かった。一方、鉄道はいまほど人気ではありません。私は、87年、京王電鉄に入社するんですが、鉄道というより、不動産や開発部門で仕事したかったんです」。
ところが、配属先は、自動車事業部バス部門。希望とは違った。しかも同期20名のなかでも、バス現業部門に配属されたのは山岸氏を含めて2人である。
「今思えば、あの時があるから今の私があると言えるんですが、当時は、なかなか、そうは思えない。新卒の私には、きびしい部門でした(笑)」。

・・・続き

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