in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に雄大株式会社 代表取締役社長 土屋大雅氏登場。
自己啓発セミナーでの学びは「ポジティブに生きること」。
「僕は『世の中のすべてのことは大したことじゃない』って思ってるんですよ」。
豪快に語るのは土屋大雅氏(38歳)。年商約80億円、沼津を中心にグルメ、カラオケなどを展開するエンターテイメント企業、雄大株式会社の二代目社長だ。「大変なことなんてないですよ」「二代目でラッキーだったと思っている」とインタビューでも常に前向きで、その主張には一点の曇りもない。
「いろんな自己啓発セミナーに参加したんですよ。行かされたもの、自分から参加したものといろいろありますが、どのセミナーも行きつくところは『ポジティブに生きろ』ってことだなと。じゃあ自分の人生もそうしようって。はっはっは」。
2018年に社長に就任して以来、飲食業をはじめ様々な企業相手に次々とM&Aを仕掛けていく手腕は見事なものだ。幼いころからさぞや英才教育を受けてきたのだろうと思ったら、意外なストーリーが飛び出してきた。
“売り言葉に買い言葉”で、中卒に。
まずは家庭環境を見てみよう。土屋氏の父である雄二郎氏は、若くして家業の旅館を継承。息子誕生の約半年前、併せて雄大株式会社の前身となる株式会社ユーダイを設立した。もともと商売の才覚があったのだろう、節電機器の開発・販売を皮切りに、携帯電話の販売や飲食店のFCなど幅広く展開。母が事業を手伝っていたこともあり、両親とも不在がちで親にかまってもらった記憶はほとんどないという。
自由奔放な環境で育ったせいか、中学時代の土屋氏は勉強せず遊び放題だった。ヤンキーと称されるほどの“ワル”ではなかったものの、授業を妨害したり提出物を無視したりと、その素行から学校では問題児として扱われていた。ある日両親が担任に呼び出され、父の堪忍袋の緒が切れる。
「お前みたいな奴に(将来の)可能性なんてねぇ!(だから高校の)学費なんか払いたくねぇ!」
「じゃあ、こっちもいかねえ!」 こうして高校進学を拒否した土屋氏は、周囲の反対を押し切り進路未定のまま中学を卒業した。
大検合格、高校は行かずに大学、そして大学院へ。
― それで中卒ということですが……でも最終学歴は早稲田の大学院卒なんですよね?いったいどうやって? ―
「大検(旧・大学入学資格検定)に受かったんですよ。で、大学時代に簿記一級を取りました。それで早稲田の大学院に進んだんです」。
中学を卒業し、アルバイト生活を始めたものの、徐々にその状態が嫌になっていった。友達とも話が合わないし、やはり中卒では誰も相手にしてくれない。やっぱり学歴がないとダメだ。中卒で大学に行くには大検に受かるしかない。
中学を卒業した翌年、すなわち本来なら高1時代の冬に土屋氏は大検に挑戦。見事合格し、大学入試に向け東京の予備校に通うこととなった。
「でも、当時の僕にとってはちょっと辛かったですね」。
勉強が難しくて辛かったのではない。土屋氏にはその環境が煩わしかったのだ。高校に通ったことのない少年向けのカリキュラムを擁す大検コースなど、当時の予備校には存在しなかった。ましてや予備校の同級生は全員浪人生。話題がかみ合わないだけでなく、年齢を聞かれるたびに「え?なんで?」と質問される。これは相当面倒くさい状況だったに違いない。
東京の大学に合格してからの土屋氏は、授業とアルバイトの両立で大学生活を謳歌する傍ら、公的資格の取得にも注力していった。
「当時はストックオプションの税制改正前で、報酬をもらう側の税率は2割で済むいい時代だったんです。これで40代くらいで数億円手に入れて、何もしないで遊んで暮らそうって。そのためには税理士になって、上場予定のある適当な企業に入ったらいいなって。はっはっは」。
在学中、難関とされる簿記一級に合格した土屋氏は、税理士になるべく早稲田大学大学院を目指した。疎遠だった雄二郎氏も、難関校の大学院に進みたいという息子を前に、学費や生活費を惜しみなく支援するようになっていった。
「入社させてください」「じゃ、5年後に社長な」
2年間の大学院在籍中、税理士資格に必要な会計学・税法のうち4科目に合格した土屋氏は、卒業後会計事務所に入社。最後の1科目をクリアすべく日々の業務に邁進する中、ある日突然「お父さんが倒れた」との連絡が。
検査入院の結果、肺に水が溜まっているという。豪胆でカリスマ性を備える雄二郎氏だが、子供のころは身体が弱く結核を患ったことがあった。また、50代半ばに癌で他界した祖父と現在同じ年齢であり、本人も以前から「俺は60歳まで生きられない」と口癖のように言っていた。そんな背景から父の肺がんを予見し、土屋氏は大きな決断を下した。
「父が死ぬかもと思った時、いろいろ考えました。一般の家族として過ごした時間は少なかったけど、学校にも行かせてもらったし、いろんなことをさせてもらった。それは親のおかげだってね。だから会社に戻れば一緒に過ごす時間も増えるし、一緒にできることも増えるんじゃないかと」。
「(僕が戻ってきたことを)オヤジは喜んでくれましたよ。で、サシで飲みに行った時に『会社に入社させてください』って頭を下げたんです。そしたら『じゃ、5年後に社長な』って」。
2014年、土屋氏が経営管理室長として入社したその日に、雄二郎氏は社員の前でこう言い放った。
「こいつはたぶん5年くらいで社長になる。これは決定事項だから、気に食わないヤツは辞めてくれ」。
飲食業未経験の二代目が入社した場合、内部から反発が出ることは少なくない。しかしこの鶴の一声が社員の結束を促し、分裂を防いだ。自らの体調を気遣いつつ、税理士の夢を捨てて戻ってきてくれた息子に贈る最大級の支援だった。
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