2026年2月10日火曜日

株式会社スティック・ピーエス/株式会社コンサルティング・オブ・デルタ 代表取締役社長 横山公介氏登場。

 “飲食の戦士たち”株式会社スティック・ピーエス/株式会社コンサルティング・オブ・デルタ 代表取締役社長 横山公介氏を取り上げました。

本文より~

ヤンキーとビリヤード。

横山さんは1974年、狛江市に生まれる。姉2人、兄1人。横山さんが生まれたときには、お父様はすでにアパレルの会社を起ち上げておられた。
お母様を中心に、やさしさに包まれた家庭だった。時代は第二次ベビーブーム。小学校が新たに生まれ、中学は5クラスあった。
お兄様とおなじ中学に入学する。「あの横山の弟が入学してくる」と知って、上級生たちは興味津々だった。
「兄は、のちに沖縄に移住し、プロダイバーになって、ダイバーの専門雑誌に連載を持つくらいその世界で有名になるんですが、当時も地元ではかなりの有名人で、『横山の弟』というだけで、私は、先輩たちから特別扱いです」。
入学早々、いかついヤンキーに肩を組まれ、耳もとで「ハンドボール部な」と囁かれた。横山さんの弟なら、ハンドボール部に招待しないといけないと、暗黙の了解があった。
ハンドボール部は、先輩も、後輩もみんな横山兄同様、ヤンキーだった。
横山さんはヤンキーではなかったが、ふつうのレールからは外れていた。
「長女は、もう大学生で、大学を休業してフランスへ。次女は、イタリアへ。父は、再婚相手と暮らしていて、うちには、兄と、私だけ」。
当時の食生活について、横山さんは「父が、たぶん、うちに来てつくってくれていたんだと思います」と、記憶をたどるように語る。ただ、さだかではない。横山さん自身、家にいたかどうかも、さだかではないからだ。
「中学2年のとき、ポール・ニューマンとトム・クルーズの映画のハスラー2が大ヒットします。ハスラーの25年ぶりの続編です。トム・クルーズがかっこよくて。日本でもビリヤードが流行りだし、ぼくもビリヤード場に入り浸り、朝まで過ごしていました」。
ビリヤードにハマる中学2年生。周りはすべて幼く映った。

キュー1本、30万円。

「もともと勉強はきらいじゃなかったんです。ただ、高校進学では、内申点が悪くて行きたい高校に進めませんでした。その苦い経験もあったんで、大学は一浪して、行きたい大学に進みました」。
進学したあと、始めたバイト先に、ビリヤード台があった。もちろん、大学生になっても、ビリヤードは大好きだ。
「バイトができて、ビリヤードもできる文句なしのロケーションでした」と横山さん。
バックスピン、オーバースピン、マッセ…、つぎつぎ技が決まる。
文字通り、ハスラー2。
大学じゃなく、バイト先で、青春が色付く。いつしか、ビリヤードは、趣味の領域を越えて、仕事のひとつになった。
大学を卒業した横山さんは、ビリヤードで使うキューの輸入業を開始する。
「きっかけは、アメリカで有名なキューの職人に電話をかけたことなんです。8年先まで予約で埋まっていて断られたんですが、中古のマーケットになら俺のキューがあるからよければ探してみてくれって。ネットもまだないような時代だったんですが、運よく希望のキューがみつかって。これを仕事にしたらどうだろうか、と」。
そのときのキューのお値段は、30万円。「なかには、100万円を超えるキューもあるんですよ」と、たのしげに語る。
30万円のキューを輸入して、60万円でセールスする。月に1~2本セールスできただけで生計が立った。
「ほかより安かったから、口コミで広がりました。キューのメンテナンスもやっていて、そちらのオーダーも少なくなかったですね」と横山さん。それにしても、あの1本のキューがうん十万というのは興味深い。
横山さんが進んだのは、数学科だったが、数学の幾何学と、ビリヤードは関係があるんだろうか? 球と球があたる角度、クッションにあてる角度。バックスピンをかけた球は、狙った球を穴に落としてピタッと停止する。
まるで、力学と数学、そして映画のワンシーンだ。

大喧嘩の後始末。

輸入事業は、5年つづけた。26歳で結婚し、バイト時代の後輩に誘われて、27歳で、アミューズメント会社に就職している。
「事業が急拡大するタイミングでした」と横山さん。事業の拡大に合わせて、横山さんもスピード出世を遂げ、1年半で事業部長に昇格している。
ただし、休む暇もない。朝まで仕事はつづき、自宅に帰るのは、もうみんなが起き出している頃。
「社長も高く評価してくださっていたんですが、ある日、社長と大喧嘩して、見事、店長に降格です(笑)」。
露骨な人事だった。今まで経験したことのないインターネットカフェ事業に異動。しかも、問題山積みの店舗に配属された。
「やめさせようって魂胆がまるわかりだった」と横山さん。
「でも、こっちは、ぎゃくにギャフンと言わせてやるって」。
横山さんが着任してから、無法地帯だった店舗はいっぺんする。
「お客様とも、従業員とも、会話を重ねました。ルールと、ルールを破るとどうなるか。一部の問題あるお客様は、出禁に。警察とも連携して、違法行為ができないようにしました」。
ある一部のお客様にとっては、不自由なネットカフェとなったが、業績は落ちるどころか、アップした。
半年後、辞めさせるはずだった横山さんに、月商3600万円の、インターネットカフェ事業、最大店舗へ異動という辞令が下りる。
その1年後に事業部長に再昇格。これが、横山さんの、大喧嘩の後始末。

部下の恩返しと、先輩の恩返し。

27歳で就職して12年、39歳で横山さんはその会社を退職している。会社が買収されたことも大きな要因だった。
ブライダルの会社などを経て、現在、社長を務める株式会社コンサルティング・オブ・デルタに転職。横山さんをヘッドハンティングしたのは、当時の社長で、現会長の高橋さん。
アミューズメント会社では、横山さんの部下だった人だ。
「お断りしたんですが、じゃぁ、定期的にお会いするだけって言いつつ、ふたたび交流がはじまって。いつのまにか店舗も用意されて。じゃぁ、やりましょうかって」。
4歳年下。
「『なぜ、ぼくに声をかけてくれたんですか?』と聞くと『横山さんだけが、ぼくを人間として扱ってくれたから』って」。
部下の恩返し。その恩返しに応えるように、横山さんは事業を拡大していく。
「株式会社コンサルティング・オブ・デルタは、『ダーツ カフェ デルタ(Darts Cafe DELTA)』というダーツカフェを現在19店舗運営するほか、ダーツマシンの設置やレンタル、ダーツバー運営のノウハウを活かした集客支援などのコンサルティングを行っています」。
「もう1社、私が社長を務めているのが、グループの株式会社スティック・ピーエスです。アミューズメントバーの運営が主な事業です。定額制アミューズメントバー「D.P.S」が主力ブランドで東京をはじめ、埼玉、千葉、福岡、神戸にオープンしています」。
株式会社スティック・ピーエス、2021年設立の若い会社だ。

・・・続き

株式会社スティック・ピーエス/株式会社コンサルティング・オブ・デルタ 代表取締役社長 横山公介氏

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