2026年2月3日火曜日

株式会社ウィザー 代表取締役 西岡敬悟氏登場。

 “飲食の戦士たち”株式会社ウィザー 代表取締役 西岡敬悟氏を取り上げました。

本文より~

先生の一言が人生の分岐点。

今回、ご登場いただいた西岡さんが生まれたのは愛媛県の東部、香川県に隣接した四国中央市。大王製紙の本社があり、日本一の紙の町と言われている。
西岡さんは、男三兄弟の三男。兄2人を追いかけるように、小・中を過ごした西岡さんだったが、高校の時に、兄弟と別れ、母といっしょに母の出身である香川県に移り住んだ。
当時のいきさつをうかがった。
「母方の祖母の体調が悪くなったこともあって、母が香川に移り、私は高校を転校してついていったんです」。
「転校して偏差値がぐっと下がった」と西岡さんは笑う。
転校先で、今でも付き合いのある友達もできたが、転校当初は孤立していた。中学時代と同様、ソフトテニス部に入部したが、3ヶ月で退部。
「高校で、母と二人暮らし。父と兄たちとも離れて。今思うと、一つのターニングポイントだったかもしれません」。
偏差値が低かったので、授業は余裕でついていけた。だが、そのぶん、荒れている生徒たちもいた。転校生の西岡さんを悪ふざけで絡んできた生徒もいた。
西岡さんは、進学コースだったが大学に進学するつもりもなく美容師になろうと思っていたそうだ。
「私は数学が好きで、理系を選択していたんです。理系は全員、進学コース。だから、進学しない生徒もいました」。
「もし、美容師になっていたらどうなっていたんでしょうね?」とうかがうと、首を傾げる。
「美容師になろうと、思っていたと言っても、ただ、かっこいいかな、くらいで。進路の先生に『将来、独立するんだったら、大学に行って経済を勉強したほうがいい』と、言われて進路を変更しました」。
「美容師になっていたら、どうなっていたかわからないですが、今とはちがう人生だったのはたしか。その意味では先生のあの一言が私の人生の分岐点だったわけですね」。
s 西岡さんは、次兄を追いかけるように、東京の大学に進学する。

飲食で初バイト。八王子の夜と、西岡さんのささやき。

東京の八王子。大学。次兄と二人暮らし。
最初の2年間は、大学に通い、授業では教授の話に耳を傾けた。
「3年から飲食店でバイトをはじめて、そのあと八王子で居酒屋のキャッチの仕事も開始します」。
これが飲食との出会い。
「将来、社長になろうと漠然と考えていたことが、この頃には、だんだんと明確な目標となっていました」。
「お金に興味があった」と西岡さんは正直に言う。大学の教授に「それは悪いことではない」と教わった。お金をもつことで、自分を縛るものから解放される。
「祖父も株を運用してましたし、今、次兄は今、投資家となって生活しています。そういう影響もあったのかもしれません」。
「キャッチのバイトは儲かりましたか?」とたずねると「時給換算すれば1600円くらいだったんで、ふつうのバイトの倍くらいは儲かりましたが、私は八王子だったんで、たとえば新宿のキャッチと比較すると半分くらいでした」との回答。
夜の八王子。
きらびやかで雑多な新宿と比較すれば、ネオンの数も少ない。キャッチの取り分も少なかった。それでも、月に15万円くらいになったというから、ほかの学生バイトにはもどれない。
「とにかく、独立と、お金儲けという考えがあったもんですから、就職するなら不動産か、証券かと思っていました。たまたま大学にいらした証券会社の方から話を聞いて。大手じゃなかったので転勤もないと聞いて、その会社に就職します」。
証券マンになる。アベノミクスがスタートした頃だった。

証券会社、期待の新人が3年でスピンアウト。

「アベノミクスがスタートした頃なので、タイミング的にはいちばんいいときでした。就職したのは上場会社でしたが、オーナー会社ということもあって人情も熱かった。とくに私が配属されたのは、その会社のなかでも温厚でいい人ばかりの部署だったんです」。
西岡さんの話によると、新人がその部署に配属されるのは数年ぶりで、キャリアの長いおじさん連中が「あいつは大事に育てようと話し合ってくれていた」そうだ。
お酒が苦手な西岡さん相手に、「乾杯だけな、一口つけたら、あとはオレが飲むから」と宴会でも助け舟がでたそうだ。
期待もされていた。
「最初は、1年勉強して辞めるつもりだったんですが、居心地が良くって、このままサラリーマンでもいいかなと思ったこともありました」。
辞めるきっかけは、当時の部長が西岡さんを励ますつもりで公開した年収だった。
「自慢するつもりじゃなかったはずです。キャリアの一つとして教えてくださったと思うんです。『オレの年収は2000万円だ』って」。
逆効果だった。
「だってね。朝から深夜まではたらいて。土日は接待ゴルフです。その金額を聞くまでは、部長は部長、私は私と思っていたんで、仕事ぶりを知っていてもピンときていなかったです」。
「自分事じゃなかった?」と聞いてみた。
「そうなんです。その金額を聞いて、部長くらい仕事をしても2000万円なんだって。突然、自分事になったんです」。
もう1人。「もともとバリバリの営業で、2年間ほど内勤にいた方がもどって来られたんです。いい意味で、めちゃくちゃな人で、営業数字がヤバいんです。もちろん、寝る暇もなくはたらいていらっしゃいました」。
居心地は悪くなかったが、10年後、20年後、同じように仕事ができるとは思えなかった。部長たちとは、住む世界が違うと思った。
しかし、次へ進むと言っても明確な目標はない。独立するといってもあてがない。
「でも、どこか自分に自信があって。なんとかなると、あてもないのに退職しました」。
同世代と比較しても高い収入だったが、それもいっしょに捨て去った。

うそか、まことか、加盟金50円。

25歳。フリーター生活がスタートする。
「サラリーマンを辞めて独立、という絵を描いていたんですが、金融の知識が少しあるだけで、独立するノウハウはなにもない。だから、ひとまず、居酒屋でバイトをはじめました」。
キャッチのバイト以来、ふたたび飲食の世界へ。
「2年半くらい」と西岡さんがフリーター時代を振り返る。
「飲食店のバイトと言ってもキッチンの経験はありませんでした。ただ、バイトのなかではいちばん年上だったからでしょうね。オーナーから業務委託の話をいただいて」。
「共同経営でやろう」という仲間も現れた。
「ついに独立に手が届くまでになりました」。
ただ、共同経営には抵抗があった。共同経営はうまくいかないと聞いていたからだ。
軍資金は学生時代から貯蓄した700万円。
「一人で独立するとなると、ホールの経験しかなかったもんですから、どうしようかと。そのときフランチャイズという手段を知ったんです」。
「人気店のフランチャイズなら間違いないだろう」と思ったが、そのぶん、初期投資が高かった。
「後先考えず証券会社を辞めるような人間ですが、じつは慎重なところもあって。なんとか手持ちの700万円以内で収めたかったんです」。
フランチャイズなら加盟金だけで数百万円。物件取得費を合わせると、700万円で収めるのは、かなり難しい。
西岡さんも「難しかった」という。
ただ、そのとき、あるフランチャイズの加盟店募集の広告をみると、うそか、まことか、そこには、「加盟金50円」と書かれていた。

初月、売上86万円の大ピンチ。

鶏ヤロー。代表の和田成司さんには、「飲食の戦士たち」にも過去2回ご登場いただいている。「加盟金50円」のお話もうかがっている。
「最初はいっちゃなんですが、詐欺かなと。でも、詐欺でも50円はないでしょ(笑)。それで、思い切って連絡したところ、すでにフランチャイズをされている方が、売上データまですべて公開してくださったんです。もちろん、50円もほんとうで、仲間を募集する意味合いもあったみたいです」。
「50円」。
加盟金はないのとおなじだし、ロイヤリティもじつは50円。(2025年現在は、加盟金200万円、ロイヤリティ10万円)。
「ビジネスモデルもほかにはないほどシンプルで明瞭だった」と西岡さん。加盟金が安いぶん、物件探しは自分でしなければならなかった。
「和田さんから、『とにかく大学の近くで』と言われていたんで。それで、小平市の鷹の台でオープンするんです。鷹の台には、武蔵野美術大学を含めて4つの大学があったんです」。
フリーターの2年半で飲食は勉強したが、物件に関しては、まったくの素人。大学の近くといっても、グーグル・マップで調べただけ。
人流などは載っていない。
「家賃16万円。加盟金を含めて、700万円以内に収まりました」。
アルバイトを採用し、準備万端、2月に華々しくオープンする。しかし、予測は見事に大外れ。「オープン景気もなかった」と苦笑する。
「オープンするまでは、なんとなく300万円くらいはいくだろうと。それをもとに計算していたんです。300万円を売り上げれば、利益も十分残ります。でも、実際には」。
西岡さんは、ため息をついてから言った。
「初月が税込み、86万円」。 
翌月、若干アップして110万円。最高で150万円。
アルバイトを何名か解雇した。すると、ほかのアルバイトも辞めていった。徒歩数分の女子学生が一人残っただけ。
「なにかあれば言ってくださいって(笑)。臨時バイトです」。
100万円で10万円程度が残った。基本、ワンオペ。
「たまにね。10名くらいのお客さんがいらっしゃるウルトラCがあって、そんなときは、その子に連絡するんです。そうしたら、数分後にすっぴんで『おはようございます』って」。
1年半くらいつづけた。希望はなかった。しかも、パンデミックが起こる。130~150万円だった売上が、30~40万円に下がった。
「人生のなかでいちばんきつかったですね。あのときが」。
30万円、40万円、家賃だけで、売上の半分を占めた。
「もう、どうしようもない」と呟いたときに、緊急支援融資が始まった。

・・・続き

株式会社ウィザー 代表取締役 西岡敬悟氏

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