2025年8月27日水曜日

株式会社ネバーランド 代表取締役 加世堂洋平氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ネバーランド 代表取締役 加世堂洋平氏登場。

本文より~

長島町――原点となる故郷。

鹿児島県最北端、人口約1万人の長島町。日本三大急潮の一つ「黒之瀬戸」を有し、ブリ養殖日本一の地として知られるこの島で、加世堂氏は漁師の家系に生まれた。漁業のかたわら、鹿児島大学水産学部の養殖実験場で働く研究者という二足の草鞋を履く父と、実家がブリの養殖場を営む母のもと、豊かな自然と新鮮な海産物に囲まれつつ三人きょうだいの末っ子として育った。
「両親は私に、町の診療所を支える医者になってほしいと願っていました。実際、私も医師を目指して勉強していました」。
1クラスしかなかったという長島町の小学校を卒業後、単身で鹿児島県薩摩川内市の私立中学に進学。同校の高等部に進み、学業でもトップクラスの成績を収めた。しかし、高校2年生になり人生の潮目が変わる。
「彼女ができたんです。で、気が付いたら成績も落ちていて、医師の道は断念しました」。
目指していた医大を諦め、東京の青山学院大学理工学部に進学した。

飲食業界との運命的な出会い。

相模原のキャンパスに通うため、町田で下宿生活を始めた加世堂氏。ある日、友人に「すごくいい店があるから」と誘われ、何気なくその居酒屋の暖簾をくぐった。
「『こんな店があるんだ!』って、衝撃を受けました」。
これが、“居酒屋の神様”宇野隆史氏率いる楽コーポレーションとの出会いだった。
同社が経営する「まんま屋 汁べゑ」は、オープンキッチンが開放的な活気あふれる店。料理の美味しさはもとより、キビキビ働く人たちの笑顔が何よりも印象的だった。この体験が、当時19歳の加世堂氏を飲食の道に進ませるきっかけとなった。
在学中、3年3か月にわたり楽グループのアルバイトを勤めた加世堂氏だが、卒業後は飲食業界から一旦距離を置き、先物取引を扱う企業に就職する。
「飲食の経験はある程度あったんで、次は自分の営業力を試したいと思いました。で、『営業が一番大変な業種は?」って考えて、先物取引の会社を選んだんです」。
顧客リストをもとに朝から晩まで電話をかけ続け、金やガソリンなどの先物取引を勧めた。人一倍努力と工夫を重ねた結果、その後入社半年でトップセールスの座に輝く。当時の月収はおよそ100万、賞与も十分な額だったという。しかし、
「『人のためにやろう!』って営業しているはずなのに、だんだんウソだってわかってくる。“あぁ、これは人をだます仕事だな”ってね」。
人を幸せにできる飲食業の素晴らしさを再認識した加世堂氏は、その会社をわずか一年で辞めた。

経営ノウハウを学び、30歳で独立――鹿児島での挑戦。

「小規模店の方が経営を学べる」と考えた加世堂氏は、楽コーポレーションの卒業生が経営する居酒屋に就職。金の流れや経営の仕組みを現場で体得したという。
「先物と違って、飲食は結果がすぐ出るから面白かったですね。来店してから退店まで、お客様にどれぐらい喜んでもらえたかがすぐわかる。それが嬉しかったです」。
30歳を迎えるタイミングで鹿児島に戻った加世堂氏は、2010年12月、地下1階・15坪・家賃10万円の物件で「特攻チキン野郎本店」を開業。新鮮な海の幸を見極める目利きの技と、地元鹿児島の味を活かしたメニューが評判を呼び、繁華街から離れた場所にもかかわらず順調に客足を伸ばしていった。
― 10年以上も東京暮らしでしたから、鹿児島といえど土地勘はあまりなかったでしょう?繁華街でもない地下1階の物件って、勇気ありますね。
「家賃が安かったというのもありますが、僕は『人の流れを作っていくのが面白い』っていう、“楽”の考え方が大好きなんです。それに、町田時代のお客さんや仲間たちが、僕と一緒に働きたいって、鹿児島に集まってくれたんですよ。みんな、鹿児島とは縁もゆかりもないのに、嬉しかったですね」。
楽コーポレーションで学んだホットな人間関係づくりと、加世堂氏の世話好きな一面がうかがえるエピソードだ。
2011年11月、株式会社ネバーランドを設立。翌2012年、鹿児島中央駅近くのホテル跡地に、9年間限定の屋台村「かごっまふるさと屋台村」が誕生した。加世堂氏はこの場所に「TAGIRUBA」をオープン、わずか3.5坪のスペースで月600万円を売上げ、9年間トップの座を守り続けた。その後も70席の大規模店「ハイパーチキン野郎」を始めとする複数の店舗を展開し、鹿児島の地盤を固めていく。

東京進出――新たなステージと苦闘。

鹿児島での経営が軌道に乗り、移住組のスタッフを再び故郷へと戻すべく東京進出を決意し東京青山に出店、首都圏の高額な家賃や人件費を前に苦戦を強いられた。東京2店舗目の池尻大橋店では健闘したものの、青山店の利益は低く、そのうち鹿児島の経営にも影響が出始めた。「この頃が一番辛い時期だった」と、加世堂氏は往時を振り返る。
2018年、東京丸ビルに「どん薩摩」をオープン。開店当初は苦戦したが半年後から売上が伸び、2019年に“居酒屋甲子園”で優勝。2020年には上場をうかがう規模にまで成長していた。
そんな矢先にあのパンデミックが襲来。新規出店した店舗の撤退を余儀なくされたり、「少しでも日銭を稼ぎたい」一心で駅ビル内に開いたケーキ店が低迷するなど、苦難の日々が続いた。
「ケーキ店は原価率が高く、飲食業の本業とは異なる難しさがありました。撤退するにも違約金が大きくて。幸いいろんな条件が重なって、違約金少額で閉店できたのは助かりましたね」。
ケーキ店の撤退を機に、加世堂氏は事業の5ヶ年計画を策定。コロナでくすぶっていた株式会社ネバーランドが、未来に向け再び動き出した。


・・・続き

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