2024年4月17日水曜日

株式会社スターティングオーバー 代表取締役社長 荒木裕伸氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社スターティングオーバー 代表取締役社長 荒木裕伸氏登場。

本文より~

社名に込めた想い~出会いを大切にしたい!

2017年に設立した“株式会社スターティングオーバー”。
同社は現在、チャーハン専門店“炒王”の炒王事業(4店舗内1店舗は休業中)、鶏料理専門店“鶏千”の鶏千事業(5店舗)に加え、カレーうどん専門店“千吉”の千吉事業(10店舗)の三事業20店舗を展開している。
今回は、社長の荒木裕伸社長に、今日にいたるまでの歩みを振り返っていただき、併せて将来の事業展望を語っていただいた。
―“スターティングオーバー”という社名にされた意図、どのような想いを込めて命名されたのですか?―
「とてもシンプルな英語ですが、直訳すると“新しい始まり”を意味する名詞です。別段特殊な言葉ではなく、日常生活やビジネスシーンなど、さまざまな場面やシーンで使用されているようですが、“新しいスタートを切る”“初めからやり直す”という使い方もあるようです」。
―“新しい始まり”とは?―
「より多くのお客さま、従業員や加盟店さまなどの多くの仲間、多くの取引さまとの出会いをスタートさせ大事にしたいという想いから命名しました」。
―吉野家ホールディングス傘下だとのことですが……―
「そうなんです。わたくし、吉野家に勤務していたのですが、『吉野家ではできないことをやって行こう』というプロジェクトで始まった事業なんです」。
荒木氏が吉野家に入社するまで、そして入社後から“スターティングオーバー”立ち上げまでの足跡を辿ってみよう。

目立ちたがり屋とひっこみ思案とが同居した性格。

「広島県三次市で生まれました。周りは山と田圃だけの田舎です。位置的にいえば島根県との県境になるんですが、冬は腰のあたりまで雪が積もることもありました」。
中国地方のほぼ真ん中に位置し、北部は中国山地、南は平坦な農業地帯が占める三好市。
当地は、内陸性の気候のためか夏の日中は気温が上がりやすいが熱帯夜になることは少ないが、冬は雪が積もり東北地方の県庁所在地、仙台や福島に匹敵するほどの寒い土地のようである。
―どんな街なんですか?―
「住んでいた当時、近くにコンビニはなかったですし、ジャスコのようなショッピングセンター内にマクドナルドではなくドムドムバーガーがあった程度でした」。
小学校は1クラス、中学校は2クラスと小規模な学校で、徒歩で30分かけて通学していたとのこと。
「学科では数学が好きでしたが、小学校の頃には料理も好き出したね……」。
―料理が好きだった?―
「はい!カレーのスパイスを買ってきて、勝手に作っていましたしパンやシュークリームなどを作ったりしていました。やっぱり好きだったんですね」。将来、飲食業で生計を立てることになるとは思わなかっただろうが、小さな芽が吹き出していた。
―どんな子どもでした?―
「相矛盾することが同居していたというか、表裏一体のように備わっていたのか、目立ちたがり屋でしたが、反面、引っ込み思案でしたね。だんだん恥ずかしさを自覚し表には立たなくなりましたが……」。

[初]吉野家体験の先に進みたい路が浮かび上がってきた。

高校は広島市内の城北学園に進学。実家を離れて寮生活を送ることになった。
「先ほども言いましたが数学が好きでした。受験は5科目だったのですが、中学のときに受けた模擬試験では数学以外はほとんどダメで、受からないと思っていたんですが、受かりました。校則はありましたが、髪色や服装に一定のルールがある程度で、比較的自由な校風でした」。
―高校時代の思い出ってありますか?―
「二つの大きな思い出があります」。
―ひとつは?―
「数学以外はまるでダメ。その数学も嫌いになってしまい勉強は挫折しましたが、自転車競技部に入って、自転車競技~トラック競技ですが~に没頭しました。インターハイにも出場しました」。
―二つ目は?―
「全寮制ではありませんでしたけど、寮生活ですね。部屋は個室でした。当時のことですから今と違って上下関係が厳しく、連帯責任でビンタを喰らうこともありましたよ」。
現在であればパワハラやコンプライアンス問題などに匹敵するような理不尽なことも体験した寮生活だったが、結果として集団のなかでの人間関係を学んだし暴力否定派になったと振り返る。
頬に受けた痛みは無駄ではなかった。
高校卒業、そして大学進学。近畿大学・和歌山キャンパスにあった理工学部に入学したのだが……。
「一年で中退したんです。理由は吉野家の牛丼を初めて食べたことなんです。そぅ、高校までは吉野家を見たことがなかったんですが、感動しましたね」。

吉野家は天職だ!19歳にスタートした吉野家人生。

吉野家に魅せられてアッサリ中退。19歳だった。その決断に驚愕するばかりだが、驚くのは、現在にいたるまでファースト・コンタクトの衝撃が刻んだ“吉野家愛”を貫きとおす荒木氏のブレのなさだ。
「退学して、吉野家でアルバイトを始めました。業種は関係なくアルバイトをすることが初めてでして、接客も楽しかったですし、自由になるお金が手に入ることも社会人の仲間入りしたようで嬉しかったですね。新鮮でした」と振り返る。
―せっかく入学した大学を中退すること。アルバイトとはいえ吉野家で働くことに関してご両親には相談、あるいは報告されたのですか?―
「大反対はなかったように記憶しています。決め手は“吉野家の仕事は天職だ!”ということで説得したんです」。
“天職”とまで言える人は決して多くはない。吉野家で働くということが荒木氏の性格、考え方、価値観などとフィットしたのだろう。人間と仕事の最良の関係が生まれた。羨ましい限りだ。
「当時、アルバイトの店長はいませんでしたから、社員になるより店長になりたかったですね」。
「お世話になった店長やSV(スーパー・バイザー)の方々が23歳くらいの方が多く、大卒で新卒入社なら自分も同じようになれるという思いがあり頑張り、1年間、アルバイト店長を務めました」。
―若い店長ですが、苦労しませんでしたか?―
「年上の従業員も多く、若かったこともあり苦労はしましたが、虚勢を張りながら対応してきました」。察するにあまりある。
そして2001年、アルバイトから吉野家HDグループに入社、晴れて社員になった。22歳のときだった。
やがて大きな転機が訪れた。

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