2014年9月16日火曜日

川菜 龍の子 オーナーシェフ 安川哲二氏登場。

本文より~

豊かな自然のなかで感性を育んだ少年時代。

安川氏が生まれたのは、1948年。出身は福岡県古賀市。6人兄弟の末っ子。父は水道関係の会社の経営者だった。
小学校の頃は、河原に行って魚を釣り、釣った魚を焼いたり、揚げたりして食べていた。台所に入ったことはなかったが、料理に無関心ではなかったことが伺えるエピソードである。「当時は、物々交換の時代だった」と安川氏。山で採れたものと海で獲れたものが交換される。なんとも人情味のある風景である。
豊かな自然のなか、6人兄弟の末っ子として、兄達から可愛がられ、笑い、食べ、走り、眠る、少年安川氏の様子も目に浮かぶようだ。

料理人を目標に専門学校に進学。

「中学を卒業したら料理人になろう、と決めていた」と安川氏は言う。高校に進学する生徒同様、中学を卒業し、社会に出る生徒もまた少なくなかった時代である。
安川氏は、中学を卒業すると地元福岡にある「中村調理製菓専門学校」に進んだ。こちらで1年間勉強した。
「専門学校は1年制でした。中華料理の店でアルバイトをさせてもらっていたこともあって中華を専攻しました。四川料理? いえいえ、最初は北京料理です(笑)」。
ところで中華料理といっても、様々なジャンルがあるのはご存じの通り。代表的な料理には北京、上海、広東があり、それに四川が加わる。
この4つのカテゴリーのなかでも、陳建民がTVに登場するまで四川料理は、日本人に馴染みが薄い料理だったそうだ。東京で陳建民が四川料理店を開き、NHKの料理番組「きょうの料理」で日本人好みの料理を紹介したことにより広まったと言われている。
「麻婆豆腐」や「エビチリ」など、今では食卓に上るほど一般化している。
やがて安川氏も、この陳建民氏に教えを乞うことになるのだが、それは少し後の話となる。

中華料理店での修業時代。

「最初に就職したのは、そうですね、ごく普通の中華料理店です。あの頃は、ガスが無くって、コークスだったから、朝7時に店に出てコークスを燃やすのが、私ら下っ端の仕事でした」。
コークスは火力が強い。強い火力がいる中華料理店では昔、コークスがガス代わりに利用されていたそうだ。
だから、コークスを燃やすのも仕事の一つになった。聞けば、朝7時から深夜の2時まで。休憩は無いわけではなかったが、ともかく長時間労働である。
だからといって、給料は少なかった。今のように残業代が支給されるわけでもない。しかし、賄もあり住まいもあてがわれた。
もっとも住まいといっても、一部屋。スタッフは、川の字になって雑魚寝した。いったい皆で、どんな夢をみていたんだろうか。
師弟制度も強烈な時代である。
「休憩時間に風呂場に行くんです。でも、ゆっくり湯につかることもできない。先輩の背中を洗い流すのが、私らの日課でした」。
理不尽なこともあったはず。歯を食いしばったこともあったろう。それでも、安川氏は、黙々と働いた。2年が過ぎた。少しだけ自信も出てきたのだろうか。
知り合いに頼んで、四川飯店を紹介してもらった。・・・続き
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