2020年1月15日水曜日

千房ホールディングス株式会社 代表取締役 中井貫二氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”千房ホールディングス株式会社 代表取締役 中井貫二氏登場
本文より~

千房、3代目社長。野村證券で奮闘す。

今回は「ぷれじでんと千房」などで有名な千房ホールディングス株式会社の2代目社長、中井貫二氏に話をうかがった。ちなみに「千房」といえば、お好み焼にうるさい関西人なら、だれもが知っている。創業は1973年、難波千日前にオープン。父親であり、現会長の中井政嗣氏が、創業者である。
「私は3人兄弟の三男です。長男は7つ上、次男は5つ上です。この2人は店の片隅のダンボールの中で育てられたそうですが、私は、ごくふつうに育てられました。心斎橋に2号店をオープンしたあとで、事業もうまくいっていた頃です。母親ももう専業主婦でしたし/笑」。
子供の頃、「ゴットファーザー」のような兄弟だった。長男は、ヤンチャで人気者。次男は、大人しく、三男の中井氏は、とにかく要領が良かった。
お父さんはどうでしたか?
「父ですか? 父は365日会社です。いっしょに遊んだ記憶も、旅行に行った思い出もほとんどない。そういう意味では、ふつうの家族とはちょっと違いますね」。
子どもの頃から、勉強が大好きだったそう。成績も、常に上位でした。大学は京都大学を目指していたというから察しがつく。2度、受験し、慶應義塾大学に進む。「中・高は男子校です。高校ではサッカーをしていました。大学ではアメフトです」。
慶應義塾大学のアメリカンフットボール部。企業の採用担当者ならどこでも欲しがる人材だ。もっとも超氷河期だったそう。「そうですね。かなり厳しい環境だったと思います。そのなかでも私はいろんな意味で、いちばん厳しい野村證券に就職しました」。
野村證券は、いうまでもなく日本を代表する証券会社だ。とはいえ、社内での競争は猛烈だったはず。証券会社の守備範囲は広い。
「私は、野村證券の新宿野村ビル支店に配属されます。こちらで、徐々に上位に位置するようになりました。もっとも仕事ができると私自身が思うようになったのは3年目くらいでしょうか」。
入社式で、中井氏は、新卒者の代表に選ばれている。
最初から期待の大型新人だったわけだ。
「じつは、組合の議長も務めています。野村證券で勤務したのは14年です」。25歳の時に、2歳上の先輩とめでたくゴールインしている。
「辞めようと思ったこともなかったし、実際、辞めるつもりもなかった」という。

千房、入社。会長から託された羅針盤。

「千房に転職したのは、6年前です。もともと長男が2代目社長予定だったんですが、急逝してしまいます。その跡を継ぎます。野村證券は、さっきも言ったようにぜんぜん辞めるつもりではなかったんです。収入も半分くらいに下がりそうでしたし…」。
それでも、決断したのは何故ですか?
「昔から、父に『従業員のおかげで食べていけてるんやぞ』って話をずっと聞かされて育ってきたんです。だからだと思います。長兄がいなくなり、従業員が困っていると聞いて、『やらない』という選択肢は私のなかにはなかったんです」。
これが、中井氏、37歳の時の選択である。「理解してくれた家族にも感謝」といっている。「正式に社長になったのは、じつは去年で、45周年の時です」。
なんでもゼロリセットが、45周年のテーマだったようだ。「本社も移転しましたし、組織も変えました。ぜんぶ、ゼロリセットです」。
会長のOKはよくでましたね?
「もちろん、創業者の思いは絶対です。千房は、これはマスコミにも取り上げてもらっていますが、昔から過去不問です。受刑者も受け入れています。反対という幹部もいましたが、これは絶対続けていきます。そういう大事なことは守り続けたうえで、たとえば、評価制度や、給料制度などですね。そういう仕組みをチェンジしていきました。働き方改革も、いま猛烈に進めています」。
会長はなにか、言われましたか?
「会長に言われたのは、一言でした」。
「従業員が幸せになれるんやったら、それでいい」。創業者であり、会長の政嗣氏は、そうおっしゃったそうだ。なんと、強い言葉だろう。明確な思いが詰まっている。
従業員が幸せになれるかどうか。この尺度は、3代目、社長に託した宝物であり、羅針盤かもしれない。

ボーナスゼロは、経営者の責任。

「まだ、うちは上場していないんですが、会社は、パブリックでなければいけないと思っています。受刑者を受け入れているのは、その一つですし、従業員を尊重しようとしているのも、その表れです」。
エピソードを一つ。これは、中井氏が千房に入り、はじめての経営会議でのこと。
「上半期が赤字だったんですね。で、ボーナスゼロって話だったんです。『え、それは、ちがうでしょ』と」。
中井氏は、問いかける。
「従業員は、頑張ってないんですか?」
答えは「頑張っている」だった。「だったら赤字は、経営陣の責任だ。銀行からお金を借りてでも、ボーナスは払うべきだ」と言い放った。
まっすぐ。そんな性格である。しかし、いきなりの一言に、経営陣たちは驚いたことだろう。
「そりゃ、そうです。だって、従業員たちも薄々ゼロだろうなって思っていたくらいです。つまり、いつものことだったんですね/笑」。
型破り、異端児といえば父親の政嗣氏も負けてはいないが、息子の中井氏も、立派な型破りタイプだ。従業員には、そんな中井氏の思いは伝わったんだろうか?

腹をくくった改革者。

「生産性を2倍にするのは、簡単じゃないですよね。新たな設備を入れても、そりゃ、無理です。でもね。人はちがう。モチベーションがあがれば、2倍、3倍…、10倍にも生産性があがる。もちろん、その逆もあるわけで。だから、経営っていうのは難しいんですが」。
たしかに、そう。いいと思っても、逆効果の時だってある。
「その時は、生産性をあげるというより、ふつうのことです。だって、頑張っているのに、ボーナスゼロはないでしょ。だから、私にすれば、ふつうの主張だったんです。でも、従業員たちもびっくりして。『ボーナスでるみたいやで』ってなって」。
「ゲンキン」という一言で、片づけてはいけないと思う。経営者の思いが伝わり、今までとはちがうという思いが従業員一人ひとりに芽生えたのではないか。いうならば、最初にできた、中井氏と従業員との「きずな」。
「それで下半期で、なんと上半期の落ち込みをカバーし、通年で予算を見事に達成します。飲食だけに限らないとは思うんですが、とくに飲食は『人』ですね。このエピソードを通して、私自身が、それを知ります」。
これ以来、中井氏は改革を進めていくのだが、改革には痛みもともなう。もちろん、なかなか思い通りにも進まないことあっただろう。
「改革に大事なのは、『よそ者・若者・バカ者』なんですね。これがそろって、はじめて改革が進んでいく」。たしかに、中井氏はよそ者。しかもある意味、バカ者でもある。
「じつは、働き方改革の一環として、定休日もつくりました。売上はめちゃめちゃ下がっているんですが」と笑いながらも真剣な表情で、中井氏はつづける。
「家族といっしょにいる時間とかね、ぜったい大事な時間をちゃんとつくれるようにする。海外進出や、何百店舗の出店なども、たしかにいいんですが、私のミッションは、飲食の社会的な地位の向上だと思っています。だから、バカ者にだってなる。だれかがやらないと進まないでしょ。これが、経営者の務めです」。
腹をくくっている。そこが、すごい。
・・・続き
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