2019年5月17日金曜日

株式会社ISE広島育ち 代表取締役 小林直哉氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ISE広島育ち 代表取締役 小林直哉氏登場
本文より~

母が放ったもう一つのボール。

山なりのボールが返ってくる。キャッチボールの相手は、いつも母だった。
「小さい頃に両親が離婚して、私は、母に引き取られます。母は仕事をしていましたから、母方の祖母に育てられたようなものです。ええ、昔の人ですから、そりゃ、おっかなかった/笑」。
看護師だった母は、当時、企業に勤め、「衛生管理」という仕事をされていたそうだ。「仕事は忙しかったと思うんですが、時には、いっしょに遊んでくれました」。それが、冒頭の話。
「祖母もそうだし、母親も躾はきびしかったですね。とにかく、ひとに迷惑をかけるな、と」。一度、川に落ちたことがある。川に落ちたことより、「助けてくれたひとに、迷惑をかけた」と怒られた。
祖母も、母も、時に父親に代わって、愛する孫、息子を、叱り飛ばした。
「母からは、一芸ではだめと教えられました。だから、スポーツもいろいろやって。小学校では水泳です。ただ、やりたいと言って始めたものの、ともだちと遊ぶ時間がなくなって、辞めたくて仕方なくなってしまうんです。でも、母に言っても、途中では辞めさせてはくれません。結局、競技会で優勝して、ようやく辞めてもいい、と/笑」。
ひとに迷惑をかけない。ものごとは極める。この2つが、小林少年の指針になる。
これもまた、母が放った1つのボールである。

県、推薦で、日本体育大学へ。

「大学は日本体育大学です。広島県の県から推薦していただいて、進学させてもらいました。ハイ、水泳ではなく、ハンドボールの選手としてです」。
小林氏は中学から、バスケットボールを始める。バスケットボールでも頭角を現し、キャプテンも務めたが、高校ではハンドボールに転向。「いろいろなことを極める」という母の教育方針もあったが、じつは、高校のバスケットボール部がつよくなかったからだそうだ。
「それでつよいハンドボールに転向し、そのままハンドボールの選手として、大学に進みます」。
県が推薦するくらいだから、相当、巧かったはずである。実際、ハンドボールをする生徒たちの間で、小林の名は知れ渡っていた。「当時は、オリンピックも狙ったいた」と小林氏も言っている。それでも、進んだ日本体育大学のハンドボール部は当時、日本一。先輩は、小林氏からみても「バケモノばかりだった」らしい。
ただ、バケモンという意味では、きびしい規律が、もうひとつのバケモンを生みだしていた。「先輩」というバケモンである。寮生活。あまりのきびしさに、夜中に脱走する者も後を絶たなかったそうだ。
「先輩が『カラスは白』と言ったら、『白』っていう時代ですからね。推薦だったんで、ふつうお金はかからないんですが、授業料以外にもいろんな出費があって、母にもいろいろ苦労させました。おまけに3年の時に怪我をしてしまって」。
あと1年経てば、頂点だった。すべて、我が物顔で楽しめる。
「そうですね。でも、私は、あまり好きじゃなかった。だから、ここでも母に無理を言って、部を辞め、寮もでるんです」。
推薦で進学した場合、部を辞めるには、いろんな問題がある。幸い、県にも怪我が認められ、大学生活はつづけられたそう。その結果、オリンピックは断念することになったが、日本体育大学出身という「箔」はついた。実際、大手企業に就職できたのは、日本体育大学の肩書きがモノを言ったからだと小林氏は言っている。

「うちに来ないか」。友は、そういった。


小林氏が就職したのは、地元、広島の大手広告代理店。そこで、41歳まで19年勤務する。事業部長になり、年収は1000万円をオーバーするまでになった。
「転機が訪れるのは、39歳の時です。幼なじみから『うちの店のブランディングをして欲しい』と頼まれたのが、きっかけです」。
39歳。広告マンとして、脂がのっている頃だ。ただ、当時、いろんなことに直面していたのも事実。仕事でも、プライベートでも。そんな時、昔の友人がたずねてくる。
「彼がいう『うちの店』が『みっちゃん』なんです。ハイ、子どもの頃、遊びに行くと、決まってご馳走していただきました。だから、彼の父で、現会長のことも昔からよく知っていたんです。もっとも会長は、いまの広島流お好み焼きの生みの親ですから、広島県人ならだいたい知っています」。
ブランディングがきっかけで、仕事でも交流が生まれる。お互い心はハナから通じ合っている。やがて。友人は、小林氏に「うちに来ないか」と持ちかけた。
「1年くらいですか、断りつづけ、最後には、会長からも、『あいつを助けてやってくれ』、と。ええ、それが41歳の時です。私も、ちょうどゼロからもう一度スタートしたいと思っていた時でしたから、それで、了承します。でも、その時は、社長になるなんてもちろん思ってもいませんでした」
・・・続き
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