2019年5月29日水曜日

株式会社シゲキッチン 代表取締役 間宮茂雄氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社シゲキッチン 代表取締役 間宮茂雄氏登場
本文より~

ボンボンと言われた少年。中3で夜逃げを体験する。

別荘も箱根と静岡にあったし、30フィートの大型クルーザーもあった。夏休みの行事は、クルージングや海外旅行が、定番だった。欲しいといえば、何でもすぐに買って貰えた。
「かなりのボンボンでした」と、間宮氏は笑う。父親は「家具店」を経営されていたそう。従業員が50名くらいいたから、相当な規模である。「3人きょうだいの3番目なんですが、上2人が女ですから、私が長男。男だから、当然、チヤホヤされます。しかも、従業員の人らからは『若社長』っておだてられたりしていました」。
何不自由ない。間宮氏の子どもの頃は、まさにその言葉通りだった。お金もあるし、頭もいい。スポーツもできた。若社長と言われる少年。本人も、その気になっていたそう。実際、小学生の文集には「社長になる」と断言している。
「中学では、テニス部に入り、市内の大会で優勝しました」と間宮氏。何もかも、巧く行く。「しかし、それも中学3年生の夏までの話です。親父の会社が、倒産してしまいます。それで、夜逃げです」。
まだ、箱根に所有するホテルがあった。だから、箱根に向かい、そのホテルに滞在し、1週間、みんなで姿をくらました。
「父と母と姉2人と私の5人です。気晴らしだと、ゲームセンターにも連れて行って貰ったんですが、ぜんぜん楽しくない/笑。そりゃそうですね。ただ、そう悲壮感もなかった。何しろ、尊敬する親父がいるんですから。いう通りにすればいい、と」。

きょうだい3人の暮らし。

「親父が『オレは責任を取るために旅にでる』と言い出しました。保険金の話です。私だって、親父が何を言っているか理解できました。母も『なら私も』と言い出し、私も、上の姉も『なら、いっしょに』って話になったんです。もし、あの時、いちばん上の姉が『私は、1人でも生きる』と言わなければ…」。
いちばんうえの姉の一言で、みんなの目がさめたという。「それで、子どもたちだけでも逃がしてやろうってことになって、私たちきょうだいは住んでいたマンションに戻ります。1ヵ月くらいいたでしょうか。毎日、取り立てが来て」。
風呂も夜中2時に、入らなければならなかったそう。「それで、私が賃貸を探してきて、子どもら3人で暮らし始めます」。親戚にも胸倉をつかまれ、「オヤジをだせ」と凄まれたらしい。むろん、相手も意味ないことと知りながら、そうでもしなければ、気が済まなかったのだろう。
家賃は7万円の3DK。みんなのアルバイト代で、支払った。3~4年、暮らした。
「いったん、ゴルフを始めます。お金もないから、大学も行けない。だから、『ゴルフをしろ』って。あれは、父親の作戦だと思うんです。あれがなければ、グレていたかもしれません。ただ、高校に入って、ゴルフの練習場に行くのにバイクを買うと、今度は、そっちにハマってしまって。もちろん、暴走族じゃない。白バイにも憧れたんですが、高卒だと白バイに乗れない/笑」。
大学に行く、頭はあったが、お金がない。
今度はないない尽くしとなる。
「最初は、公務員がいいなと思っていたんです。白バイもその延長です。でも、学歴社会なんですね。大学に行っていないとどうしようもないカベがあることを知りました。じゃ、どうすればいいか、それが起業。結局、親父のあとを追いかけます」。

間宮氏の磁力。


二十歳まで店をだす、と決めていたそう。ハンバーグショップからスタートしたが、ある時、父親に、ある焼肉店に連れていかれ、方向を定める。
「それから、すぐに焼肉店で修業を始めます。ハイ、目的がありましたから、誰よりも早く店にでて、包丁を研いで。そういうのをちゃんとみてくれていたんでしょうね。上司からも可愛がってもらいました。ただ、二十歳で起業しようと思っていたので、1年半くらい経った時に辞めさせてくださいっていうんです。でも、期待されているぶん、なかなか許していただけない/笑」。
真剣にはたらく、目標を追いかける人は、強烈な磁力を放つ。それが、出会いも生む。
「たまたま社長の知り合いという、ある会社の社長が店をだすというので、私が出向くことになったんです。実は、その店が、ここなんです」と、間宮氏は店内を見渡す。
「おわかりだと思うんですが、立地がよくありません。だから、ぜんぜんだめでした。ランチをやっても暇なんで、私は別の会社にアルバイトに行き、そちらでも修業させていただきました」。
昼、夜、深夜。本業以外でも、いい出会いがあった。
「株式会社ニュールックの金本社長です。今もぜんぜん頭が上がらない人です。私が、前オーナーから、この店を買い取ってスタートした時も、毎日のように金本さんのオフィスにお邪魔し、指導していただきました」。
オーナーがかわったって、突然、流行るわけはない。
「そうなんです。だから『どうしよう』『どうしょう』ばかりです。でも、金本さんは、『やっていることは間違っていないんだから、そのままでいい』と。ただし、『くさった肉は出すな。捨てる勇気をもて』と、いいつづけてくださいました。結果、1年はかかりましたが、給料も取れるようになり、天狗になれるくらいは、利益もでるようになりました/笑」。
・・・続き
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