2014年2月18日火曜日

株式会社麺屋武蔵 代表取締役社長 矢都木二郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社麺屋武蔵 代表取締役社長 矢都木二郎氏登場。


本文より~

インスタントラーメンをつくる小学生1年生。

矢都木は1976年11月19日、埼玉県伊奈町に生まれる。実家は、歯車を製造する工場を営んでいた。兄弟は4人。矢都木は次男坊である。
「小さい頃から食べる事に並々ならぬ関心を持っていた」と矢都木。小腹が減ると、インスタントラーメンをつくって食べていたそうだ。
小学校1年といえば、ガス台に背が届くかどうかの頃だろう。鍋に湯をわかし、麺を茹で、スープの素を入れる。インスタントラーメンを巧みにつくる子どもをみて「将来、ラーメン屋になるんじゃないか」とご両親が冗談交じりに語られていたそうだが、なんとなく頷けてしまう。
料理が好きで、ラーメンも好き。週に1回は、家族といっしょに外食に行っていたというから、食べることも大好きだったのだろう。

「つけ麺」を愛した学生時代の話。

「大学時代にハマったもので言えば」と前置きして、矢都木は<つけ麺>と言った。大学からそう離れていないあるつけ麺店で、つけ麺に出会ったのが、はじまり。
「20年程前の当時、つけ麺はまだ珍しかったんです。私は、すっかり魅了されて、年間100回は通ったと思います。それと同時に「つけ麺」という商品の将来性を考えるようになりました。」
やがて、つけ麺に明け暮れた大学生時代が終わり、就職の時期がやってくる。
就職、当時の話も伺った。
「真剣に『つけ麺屋』に就職しようと、考えていたんです(笑)」と矢都木。
「しかし、当時はまだ飲食業界へ就職することに抵抗があった時代で、私も大学まで行かせてもらったのに、ラーメン店へ就職したのでは親に申し訳ないような気もして。それで、ともかく一般の会社に就職することにしたんです」。
その会社は、食品関連の包装資材メーカーで、のちに東証一部にも上場する有望な企業だった。
「たしかに業績は良かったんですが、サラリーマンというのが肌に合わないというか。もともと<家から車で通える>、それだけで就職したもんですから、愛着という点でもいま一つでした。ともかくサラリーマンというのが、なんとも息苦しく、上司の顔色をうかがいながら仕事をするというのもイヤでしょうがなかったんです。ボーナスをもらってもぜんぜん嬉しくなかった(笑)」。
「ボーナスは貰う側ではなく、払う側に立つべきだとも思っていました。たぶん、父親をみていたからだとも思います。それでも2年はがんばったんですが、このままでは稼げないと決断したんです」。
24歳。矢都木は、もう一度、初心に帰り、意を決して、ラーメン業界に飛び込んだ。就職したのは、人気の麺屋武蔵だった。

ナンバーワンのノウハウとは。

「麺屋武蔵」に決めた理由も伺った。
「私には、つけ麺を日本全国に広めたいという思いがあったんです。大学時代、あれほど通いましたから、<つくる>自信は根拠はありませんが、何となくありました。でも、それだけで日本中に広げられるわけではないと直感的に思いました。だから、当時、ラーメン界でナンバーワンの『麺屋武蔵』で、どうすれば、ナンバーワンになれるのか、その方法論を学ぼうと思って就職したんです」。
たしかに、麺屋武蔵は業界を代表するラーメン店である。なにが、どう違うのか、その点も伺った。
まず一つ目
麺屋武蔵は「モノ」ではなく「コト」に重きを置いていると言う事が最大の違いです。創業者がアパレル出身なのでこういう言い方をしていました。「今までのラーメン屋は、旨いラーメン(モノ)を作っていればお客様は満足してくれると思っている。しかし本当は仕事や遊びの状況によって服を変えるように、お客様もラーメン「モノ」だけを食べにきているのではなく、そのラーメンにまつわる「コト(物から生じた事柄、状態)も一緒に楽しんでいるんだ」と。
「ラーメン」(モノ)というよりもまず食事(コト)である事、その時間に対して対価をを戴いているという考え方です。
当時、ラーメン屋と言えば、ムスっとした頑固おやじが、『どうだ!うちのラーメン旨いだろ!』、みたいな店ばかり。そのなかでうちの創業者の考えは異色だったと思います。先見の明もあったんでしょう。すでに、空間、おもてなし、清潔さ、サービス力の高さ、もちろんラーメンの旨さも含めて、そのどれひとつも欠けてはいけないという思いで商売をしていましたから。麺屋武蔵には<1杯にして、1杯にあらず>という言葉があるのですが、まさに我々の思いを凝縮した言葉だと思っています。
二つ目は、
ラーメン屋などは職人の世界で主従関係がハッキリしており親方が絶対です。
しかし麺屋武蔵では、「個の尊重」を会社のポリシーに掲げているとおり個人の 「オリジナリティ」を尊重しそれぞれの能力を引き出すことに力を注いでおりその結果が今の「ダブルブランド」「ダブルティスト」「マルチコンセプト」などの形につながっていくのです。
店名も「先例なしの亜流なし」をモットーにし独自(オリジナル)の剣法を編み出した無敵の剣豪宮本武蔵に因んでつけました」。
もちろん、麺屋武蔵も従業員からすれば、ほかのラーメン店同様、ハードな職場だったに違いない。ただ、矢都木にとっては、ハードかどうかより、何が学べるかのほうが大事だった。ほかのラーメン店と比べ学べることが違うのは、明らかでもある。
従業員の立場からすれば、旨いラーメンづくりだけではなく、ラーメンを中心とした食事の場である店全体が、学習の対象となる。
当然、注意すべき点は多岐に渡り、旨いラーメンを食べさせてくれる「旨い店」づくりのノウハウを吸収することとなる。
「創業者からは、『商品にはストーリーが必要だ』と言われてきました。店名も実は、『宮本武蔵』にちなんで、名づけられているんです。その一方で、サービスや清潔さ、といったホスピタリティにも、注力させられました。
「たしかにハードな仕事ではありましたが、私には、ぜんぜん問題なかった。つけ麺を日本全国に広めたい、ますますそういう思いを強くしていくのです」。

2013年、個性派ぞろい、名店「麺屋武蔵」の社長に就任する。

転職から3年、上野に出店した際に店長を任された。24歳で入社しているから27歳の時のことである。それから、10年。矢都木は「麺屋武蔵」の社長に就任する。
いつかは独立して、という思いもあったが、社長になれば「独立と同じ」だと、笑う。ただし、すでに「独立」とおなじ経験もしている。それが矢都木の強みだろう。
というのも、麺屋武蔵の店長は、店長であって、店長ではない。そう、まるで1人の独立した店主なのである。
矢都木によれば、「店によって、ラーメンの命でもあるスープからして違う」とのこと。「意欲ある店長ほど、今日より明日、明日より明後日と、よりいいもの、旨いものづくりに注力するものでしょ。だから、たとえスープが違ってもぜんぜんいいんです。私たちは、おなじ麺屋武蔵でも、おなじ店じゃない。Wネームなんです(笑)」。
食材も、すべての店が同じではないそう。料金も店長の判断で決まる。
「これぐらいの利益を出すということは、当然、決めていますが、どういうアプローチ方法を取るかは、すべて店長の裁量で決まるんです」。
「もっとも、大事な理念は共有しています。モノではないコト。食事を楽しんでいただける店であることは前提ですし、つねに旨いラーメンをつくりつづけていこうという思いも共通しています。ただし、押し付けはない。<個を尊重する>ことが、私たちのもっとも大事な理念だからです」。
まるで、一つの理念の下につどった「店主」たちのグループのようだ。これが名店の流儀なのだろうか。もう少し具体的に聞いてみた。・・・・
続き
株式会社麺屋武蔵 代表取締役社長 矢都木二郎氏
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