2007年9月3日月曜日

セールス大学 伊吹卓(キイストンホームページ寄稿より)

第十一回 『第六感の強い人、弱い人』 ㈱商売科学研究所 所長 伊吹卓



■面白い第六感の世界



 いろいろと書いてはきたのですが、カリスマ・セールスは、どのように説明しても納得しにくいものです。でも、カリスマ・セールスに関係する言葉はいろいろあります。それは、重要で不可欠なことだからです。重要な言葉の一つに「カン」があります。そして、カンは、また、さまざまな言葉につながっています。
 カン→直観(力)、判断(力)、観察(力)、洞察(力)→発想(力)→指導(力)→説得(力)→企画(力)
すぐれた人は、すばらしいカンを持っており、そのすばらしさに接すると、思わず尊敬して、うっとりとしてしまうものです。商売においても成功する人は、尊敬されているものです。それは、カンが鋭くて客の心をすっかりとらえているからです。このように考えると、商売上手とカリスマ性は、同じような性質を持っていることに気づかれるでしょう。
 そういえば日本では「商売の神様」「経営の神様」という言葉が使われることがあります。カリスマ性という言葉は「神様」の別の表現ととらえることができます。でも、このような表現は神秘主義におちいる危険性を持っています。私は、神秘主義で片づけてしまうことは好きではありません。だから私は長い間、感覚、感情というものを具体的につかみたいと努めてきました。その結果、面白い現象の実例をたくさん見つけました。そして、そういう実例に共感しているうちに、人間の感覚の世界が鮮やかに見えてきたような気になりました。そういう実例の一つを紹介しましょう。



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 十四年におよぶ刑務所ぐらしの経験をもつジム・フェランは、その著書のなかで、次のように記している。
「刑務所に入れられた人間は、新しく外国語を習うように刑務所の言葉を覚えるが、それだけでなく、新しい感覚を発達させる。私は、暗やみの中で遠方からでも看守の一人ひとりを息づかいや体臭によって、また、関節が鳴るかすかな音によって見分けることができるようになった。私は二メートル離れた所から他人のポケットの中にあるタバコの匂いがわかるようになり、また礼拝の最中にくちびるを動かさないようにしてそっとささやかれる秘密の会話を聞きとることができるようになった。長期囚は、人間ではない。彼は敏しょうで有能な一頭の猛獣なのだ」(『動物の第六感』モーリス・バートン 文化放送 筆者要約)


■感覚は超能力的なものである


 モーリス・バートンの『動物の第六感』という本には、動物の世界における感覚の不思議な話が、目がくらめくほどたくさん紹介されています。その数例を紹介してみましょう。


1 こうもりの超音波感覚
 こうもりは暗やみの中を飛ぶが、それは耳から超音波を出し、その反射を利用して“見て”いるからである。私たち人間は目で見ているが、こうもりは耳で見ているのである。


2 ミズナギドリの帰巣本能
 イギリスのウェールズの沖にあるスコクホルム島から外が見えないかごに入れて飛行機でアメリカのボストンまで運ばれたミズナギドリは、それまで飛んだことのない5400キロメートルの道のりを越えて十二日半で帰ってきた。


3 犬の嗅覚は人間に比べて百万倍
 人間の鼻の奥にある匂いを感じる膜(嗅上皮)は、その大きさが小さい切手くらいである。それに対して中型の犬の嗅上皮は平に拡げたとすると、同じ切手を五十枚並べた大きさになる。人間の嗅上皮には五百万個の感覚細胞がある。最も優秀な追跡犬の嗅上皮には二億二千万個の感覚細胞がある。しかも、その一つ一つの感覚細胞の機能は人間のものよりすぐれている。だから、犬の鼻は人間の鼻よりも百万倍も敏感なのだ。(注.前に犬の嗅覚は人間のより二百万倍から二千万倍という説を紹介したが、それくらい不可解な世界だということであろう)


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 私は、モーリス・バートンの本を読んで「感覚」というもののすばらしさに魅いられました。そこで、いろいろな動物行動学の本を買いあさり、読みふけりました。そして、動物の感性の偉大さに感動しました。その感動を噛みしめているうちに「人間も動物であるのだから人間にも人間ならではのすごい感覚があるはずだ」と思うようになりました。そのように考えているうち、人間の眼力に注目するようになったのです。
 人間の目は単なる目ではありません。スーパーコンピューターともいわれる頭脳につながっています。この頭脳にはたくさんの知識がつめこまれており、見たことを即時に情報処理し、判断するのです。その結果が「見たらわかる」ということになるのです。
見たらわかる能力が特別に高い人は「判断力がある」といわれます。判断力がある人は信頼され、人気を集めます。だから不思議なくらい成功していくのです。そういう人が、カリスマ経営者といわれたりするのです。
 このように考えると、カリスマ性の本質は動物的なもの、本能的なものであることがわかるでしょう。本能的という言葉を嫌う傾向がありますが、それは誤解だと私は考えています。


■美女と野獣


 人間の顔には、野性的な顔と理知的な顔の二種類があります。私はある裁判所の裁判官四十名の研修会をしたことがありますが、四十名ともそろって理知的な顔でした。そのとき、わたしは、元暴走族のボスで体重百キロの経営コンサルタントと、中小企業の社長で体重八十キロの社長の二人をつれていっていました。裁判官四十名と私がつれていった二人を見比べると、人間とゴリラを見比べているような気持ちになりました。
 創業者のような人に会うと、動物的な匂いを持った人が多いものです。また、どういうわけか「美女と野獣」という言葉があります。これは、野性的な男が女にもてるということを象徴しているのでしょうか。また「英雄、色を好む」ともいいます。このように見てくると、人を引きつける魅力には、野性的なものがあるような気がしてなりません。
 人間の顔は、理性的になればなるほど表情が乏しくなります。理性が感情を抑圧するからでしょうか。喜怒哀楽の表情表現が少なくなるからでしょうか。顔がのっぺりと平板なものになります。笑ったり、怒ったりしていると顔の筋肉がよく動いて発達し、顔にふっくらとした丸みが出てくるのです。


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 冷い顔をしていると、人が寄りつかなくなります。私の中学生時代の同級生に金森善五郎君という人がいました。いつも暖い顔をしている人でした。野性的な顔でした。あるとき、金森君がいうのです。「バスに乗っていたら見知らぬ女性が話しかけてくるんだ。そしていうんだ。話しかけてもいいという顔をしていらっしゃるって」そのような経験が一度もない私はビックリしました。だから、ささいなことなのに、忘れられないのです。
 ここに魅力というものの秘密があります。人には「近寄りがたい人」と「近寄っていきたい人」との二種があります。当たりまえのことですが、冷い顔をしている人には近寄りたくありません。暖い顔をしている人には近寄りたくなります。その暖さが強いと、話しかけたくなるのです。冷い顔の人は自己中心で、気づかないうちに人を嫌ったり、無視したりしているものです。暖い顔をしている人は、人のことを気づかい、常に暖い目で人を見ようとしているのです。つまり、そこには心がけの違いがあるのです。私たちは、心の中でイメージしていることが、気づかないうちに表情や脳波となって人に伝わるのです。それが不思議なカリスマ効果を生むのです。


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