2024年5月7日火曜日

株式会社ケンティーズキッチン 代表取締役社長 橋口賢人氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ケンティーズキッチン 代表取締役社長 橋口賢人氏登場。

本文より~

からあげグランプリ『最高金賞』受賞。

ホームページの一文から話を始めるのほうが、話が早い。ホームページには、つぎのように書かれている。
<沖縄県座間味島で始めたからあげ専門店>
<沖縄の離島にもかかわらず、多くの方から『美味しい』と暖かい声をいただき、第10回日本唐揚協会からあげグランプリ『金賞受賞』、第11回日本唐揚協会からあげグランプリ『金賞受賞』、第12回日本唐揚協会からあげグランプリ『金賞受賞』、3度の金賞を経て、4年目にして『最高金賞』をいただくことができました>
そして2022年には、2年連続の素材バラエティ部門『最高金賞』受賞とつづいている。
これを聞いただけでも、だれもが、一度は食べてみたくなる唐揚げだ。
ちなみに、唐揚げに用いる鶏肉は、大半の宗教が禁じていない世界でもっともポピュラーな食材の一つである。この話も念頭に置き、『ケンティのからあげ』の生みの親である、ケンティーズキッチンの橋口社長の話を聞いていく。
話はまるでちがう方向から始まった。
「父方の親族は、私以外、ほぼ全員、医療にかかわっています。一族、みんなドクターと言っていいかもしれません。私自身も、都内の歯科大学に進んでいます」。
異色の経歴が浮かび上がる。
ドクターとからあげ。共通項はどこにある? では、いつも通り、その謎も含め、少しずつ紐解いていこう。
橋口社長は、1987年10月14日、東京で生まれている。「生まれも、育ちも東京」。東京、育ちの橋口社長が、なぜ、沖縄県座間味島でからあげ専門店を始めることになるのか、ストーリーの奥は深い。

世界へ連れ出してくれたスノーボードと、世界で出会った唐揚げと。

「私は、歯科医師の息子として生まれます。幼稚園から高校までミッション系の一貫校ですごし、日本歯科大学に進学。当時は医療人になりたいと思っていました。小さな頃からからだが弱く、親族のなかでも、私だけ身長が低い。重度のアトピーも患っていました」。
「スノーボードを始めたのは8歳の頃からです。スノーボードは、からだの弱い私にピッタリなスポーツでした。雪の上では、みんな対等です」。
雪山に行くと、みるものすべてがキラキラしていた。滑り始めるとコンプレックスから解放された。からだが小さいことも忘れた。
「からだが弱い私を、スノボーが世界に連れだしてくれました」。国内でプロのライセンスを取り、メディカルコーチとして1シーズン、トップ選手たちとワールドカップに帯同したこともある。
それが一転、バックパッカーで亜熱帯を回るようになる。これが29歳の時の話。
海外を転々とするなかで、心が揺れ動いていく。
スノーボードと唐揚げ。
「じつは、学生時代から日本の伝統文化を海外に発信する仕事に就きたいと考えていた」と橋口社長。大学、在学中から、唐揚げレシピの研究を始めている。
全国から醤油を取り寄せ3年がかりで専用のたれを開発したという。歯科医師は遠のくが、日本の伝統文化を海外へという壮大なミッションが、生まれ、育まれていく。
「偶然ではなく、必然だった」と橋口社長はいう。

ボーダーのない鶏肉は、世界一ピースな食べ物である。

「鶏肉って、ボーダーのない、ピースな食材なんです」と橋口社長はいう。
「多くの宗教が鶏肉を禁止していません。鶏肉が唯一の動物性タンパク質という国が少なくないのは、そのためです。亜熱帯では『揚げる』という文化が根付いています。魚も揚げます。日本では、漬け、干すが保存性を高める一般的な方法ですが、亜熱帯では『揚げる』だったんです。そういうことにも気づき、世界に通用するだろう唐揚げの可能性を追求してみたくなります」。
唐揚げは、唐というだけあって中国が起源と言われている。中国の普茶料理のなかに現在の唐揚げに似た食べ物が入っていたそう。もっとも、現在、私たちが食べる唐揚げは、立派な和食なんだそうだが。
「ともかく、起源が中国でしたので、じつは私も、中国に渡っています。唐揚げを奥深く、研究するためです」。
 2017年、橋口社長は中国に渡り、深圳(しんせん)のデパートで唐揚げ専門店を開業している。
「オープン当初は、向こうではたらく日本人に好評で、業績も順調だったんですが」。
日本の大手企業が撤退して、一斉に日本人がいなくなったらしい。
「私には、何があったかわかりませんが、日本語をしゃべらないように注意されました。客足が落ち込み、クローズを余儀なくされてしまいます。もっとも、そこでの経験が今にもつながっているので無駄ではなかったし、自信もついたので収穫は多かったです。ただ、帰国以外に選択肢がなかったのも、事実です」。
橋口社長の中で、ピースの3文字が、ちがった形になったのではないだろうか。
「沖縄に渡ったのは、中国から帰国してからの話です。友人の1人が、突然、沖縄の座間味島という小さな島に帰らなければならなくなり、その友人をみんなでサポートしようと、有志が沖縄に渡ります。私もそのなかの1人です」。
2018年8月とのこと。
ともだちのダイビングショップを手伝いながら、島人たちとも親交を深めたそうである。ちなみに、このとき、橋口社長が滞在した座間味島は、沖縄本島から西へ約40キロの離島。
ランニング程度のスピードで走っても、1時間で周りきれる小さな島だそうである。そして、この島で様々な賞を総なめする「ケンティのからあげ」が誕生する。

・・・続き

株式会社ケンティーズキッチン 代表取締役社長 橋口賢人氏

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