2023年6月16日金曜日

株式会社LINK STYLE 代表取締役 馬淵和也氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社LINK STYLE 代表取締役 馬淵和也氏登場。

本文より~

1日12時間の猛勉強で、学年ビリからの大逆転。

進学校に進んだ結果か、ビリになった。
「授業がつまんないから学校に行っても授業にでない。だから、益々わからず、つまらなくなる」。
悪循環ですね?
「間違いない(笑)」。
授業にはでていなかったが、クラブ活動にはちゃんと参加していたそう。「本当は、硬式をしたかったのですが、軟式しかなかったからちょっと残念でした。打順は1番で、守備はショートでした」。
「あの頃は…」と馬淵氏。
「とにかく、東京へ行きたかったですね。だって、筑波にはなにもない、だから…」。
ピュアな高校生の姿が浮かびあがる。
今回ご登場いただい馬淵氏が生まれたのは1993年。このインタビューは2023年に行っているから、まだ29歳の若き経営者だ。
「高校生の時には、焼鳥屋で時給700円のバイトもしていました」。
勉強以外は文句のない高校生活。だが、その、楽天的な生活がいっぺんする。
「高校3年の5月くらいのこと。学年ビリにも当然ですが受験はやってきます。ふつうなら、『どこそこの大学に行きたい』なんでしょうが、私は『マスコミに行きたい』と思っちゃうんです。マスコミに就職するなら、早稲田、明治、法政がいいんですが、いくら偏差値70の進学校っていったって、ビリですからね」。
さすがに、無理?
「そのままでは、もちろん無理。ただ、目標が決まればエンジンがかかるほうなんで」。
なんでもストップウォッチを購入し、1日12時間、教科書と参考書にかじりついたそう。
「順位は250位から、なんとか30位まで上がります。けっきょく、早稲田はアウトでしたが、法政大学に進学することができました」。
ビリからの大逆転ですね?
「大逆転というより、なんとか滑り込んだって感じでしょうか? 『やれば、できる』っていう成功体験になったのは事実ですが、それ以上でも、それ以下でもないかもしれませんね。いったんルーティンにもなっていた勉強も、大学に進んでからはまったくしなくなっちゃいました(笑)」。
勉強でも、リバウンドって奴があるんだろうか。

憧れの東京。キャッチの仕事で夜がふけていく。

「大学時代は、吉祥寺で暮らしていました」。
念願の東京暮らしですね?
「そうです。ただ、さっきも言ったように勉強はまったくしません。社会勉強、一本です(笑)。サークルも遊び系でしたし。じつは、そのサークルでキャッチのアルバイトを紹介してもらうんです」。
キャッチといったら、街頭でお客さんを文字通りキャッチする仕事のことですか?
「ハイ、ただはじめは、ホールだったんです。ただ、キャッチのほうが断然、お金がいいと知って。ホールでも月5回しか休んでなかったので20万円くらいはいただいていたんですが、キャッチの給料と比較すると桁がちがう。それを知って、1年の秋にキャッチに転向します」。
たしかに、キャッチは儲かったと何人もの経営者がおっしゃっている。「飲食の戦士たち」に登場いただいた経営者のなかにもキャッチ出身者が少なくない。
キャッチの成績はどうだったんだろう。
高校時代の12時間のマラソン勉強もそうだが、馬淵氏は、いったん始めればのめり込む。この時も、仕事に没頭。しばらくして断トツの成績を残すようになる。ちなみに、独立して3店舗目まで無借金だったそうだが、その原資になったのがキャッチ時代の貯金だというから恐れ入る。
秘訣はありますか?
「1ヵ月目はふつうに新人です(笑)。ただ、2ヵ月目から分析を開始して、キャッチがうまい人の真似を始めます。勉強もそうですが、まずは量です。誰よりも早く来て、路上に立ち、誰よりも遅くまでつづける。1日の目標も決めて、それをやり通すのが秘訣といえば秘訣ですかね。特別なことはなにもしてないです」。
結果はどんな感じでしたか?
「2ヵ月目から給料が倍になります。成績が開示されるんですが、半年くらいで60人中3番になって、そのあと1番になって、それをキープします。1位になってからも誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰るようにしていました」。
繁華街は筑波から来た大学生を飲み込んだ。たぶん、給料だけじゃない。馬淵氏は都会の喧騒に魅了されたのではないか。むろん、そこには金も落ちている。
「飲食に関わる仕事をしますが、当時、独立はまったく頭になかったですね。だから、儲けた分は、全部使っちゃっていました。就活もちゃんとしています(笑)。リクルートさんやサイバーエージェントさんかな。ただ、『独立するなら飲食かなあ』と漠然とですが、だんだんと、そんなふうに思うようになっていったのも事実ですね」。
キャッチ生活は4~5年。就活を通して社会を意識するなかで、漠然とした思いが志にかわる。
「キャッチはとにかく楽しかったです。営業といっしょで、やったらやっただけ結果がでる。ただ、何年もやるものじゃないなと思っていました。じゃあ、なにをするかって時に、『飲食』があったんですね。独立して、どこまでできるか試してみたくなったんです」。
軍資金はキャッチで貯めた2500万円。独立には十分すぎる金額だ。ただ、キャッチの経験はあるが、キッチンの経験はない。大学1年時の数ヵ月と、高校時代のアルバイトでホールを経験したくらい。どうやって、立ち上げていくんだろうか。

WEB広告は、キャッチより費用対効果が高い。

「1号店の『鶏の吉助』は川越にオープンします。27坪60席、家賃は36万円。駅スグのロケーションだったんですが空中階でしたし、繁華街の逆だったもんですから、そこは課題でした。もちろん、料理をしたことがなかったので、そこも課題だったんですが、焼鳥屋でちょこっとはたらいた経験がある友人がいたもんですから、彼を誘って」。
川越には、なにか狙いがあったんですか?
「都内より郊外がいいなと思っていたんです。郊外というロケーションのほうが利益率も高いかな、と。ただ、どうして川越かと聞かれたら特別な理由はないというしかないですね(笑)。初期投資は2000万円くらいかかりましたが、手持ちの資金の範囲で済みましたので、問題なく…。でも、正直いうと割と心配性なところもあって。だから、冷や冷やしていたのも、事実です」。
いかがでしたか?
「あの頃、郊外ではグルメサイトがまだまだ有効だったんです。主要なサイトにWEB広告を打ったおかげで、初月から半端なくお客様がいらっしゃいました。『キャッチ』を採用するより、費用対効果を含め、WEB広告のほうが優れていました」。
キャッチより、効果がいい?
「ですね。川越だからというのもあったんでしょうが。最初からオペレーションがうまくいっていたかというと疑問ですが、お客様にも助けていただいて。1年半経った2019年の秋には2号店を千葉にオープンすることができました」。
千葉とは、川越から離れていますね?
「そうですね。あの頃は、そういう戦略で、戦略のキーワードは『郊外』と『WEB広告』でした。グルメサイトに掲載して、集客する。2店舗目は最初だけ少し苦戦しましたが、すぐに売上が上がってきます。私は、広告の勉強を始めます。1年間、コンサルタントにもお願いして、広告のノウハウをマスターします」。
郊外を攻める。戦略的なマーケティングも開始する。大学受験も、キャッチの時代もそうだが、やれば、やはり、のめり込む。

新型コロナウイルス、猛威をふるう。

「2店舗目もある程度、投資回収が進んだので、3店舗目いくかと思っていた時に新型コロナウイルスが猛威をふるい始めます」。
宴会がなかば禁止されたため、業績はすぐに落ち込むことが予測できた。「大人数から数名単位まで、宴会需要がなくなるのは、痛かったというか、直撃でした。でも、文句をいっても始まらないので、コロナでも業績がいいお店をみてまわりました」。
ちがうスイッチが入る?
「そうですね。それまでは、たとえば、『何千円、飲み放題』っていう広告をだして、会社で宴会ってときに利用してもらうというのが、うちの戦略でした。食事も、お酒もお出ししますが、けっきょくは箱を貸していただけだったんです」。
コロナ禍の下でも流行っている店は、ちがっていた?
「ちがいました。箱があるだけじゃない。もう、めちゃくちゃ勉強しました。コロナ禍でも流行っている店の共通点をあぶりだして実践します」。
それが、サワマルですか?
「キャッチしていた頃、業績がいい人を真似たのと同じ戦法です。とにかく、むちゃくちゃ勉強して、川越に『ネオ大衆酒場サワマル』をオープンします。共通点の一つに『名物料理』があり、流行っている店は、どのフードも、ドリンクもひとひねりしてある。サワマルも、それを模倣します」。
メニューからすべてご自身で開発されたんですよね?
「そうです。こちらでは内装からすべて私がプロデュースしています。路面店ということもあって、広告は使っていません。そのぶんを原価に投資しています」。
いままでとちがった点は?
「そもそも、お客様の来店動機が違います。サワマルじゃないとダメなんです。カウンターを設けたこともあって、スタッフの表情までちがいました。バリバリ、ライブなんですよね」。
わかる気がする。ホームページがまだ開設されていないので、グルメサイトで確認したが、従来の大衆酒場とはまるでちがう。ネーミング通り『ネオ』だ。メニューにも、ひとひねりが効いている。「メロンクリームソーダ酎ハイ」は、カラフルで、一度はオーダーしたくなる。
興味のある人は、「ネオ大衆酒場サワマル」で検索してみてはどうだろう。月商1200万円を達成したという、爆当たりの理由がみえてくるかもしれない。
「コロナ禍の下で爆当たりしたわけですから、それ自体うれしいですし、コロナ禍はたいへんでしたが、そのおかげといえば不謹慎ですが、新たなことにチャレンジし、飲食本来の、というか、今までとはちがう楽しみと出会うことができたのは、私にとって貴重な財産になっていくように思います」。

・・・続き

株式会社LINK STYLE 代表取締役 馬淵和也氏

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