2021年5月25日火曜日

株式会社DORAYAKI 代表取締役 塚本洸介氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”「究極のブロッコリーと鶏胸肉」を展開されている株式会社DORAYAKI 代表取締役 塚本洸介氏登場。


本文より~

守護神に徹した秀才。

小学6年生からサッカーを始めるまではスポーツとはあまり縁がなかった、と笑う。周りより遅く始めたサッカーのポジションは、競合の少なさを考えてゴールキーパー。高校まで守護神をつづけた。学校の成績も上位をキープ。
「高校時代にはもう、独立志向がありました。ミクシィが流行って、IT起業家がもてはやされた頃。そういった起業家たちに刺激されたんだと思います。」。
大学は早稲田。18歳の塚本氏にとって、滋賀から東京までは、どんな距離があったんだろう。ちなみに、塚本氏が進んだ高校は滋賀県で偏差値トップ。「最初のテストで440人中120番くらいになっちゃったんです。それが悔しくて、結局最終的には10番内に入りました」。
あの洛南高校にも合格していたというから、勉強は、得意だったにちがいない。
「ただ、サッカーでは、一番が取れなかった。そういう意味では挫折です/笑」。
会話をしていれば気づく。分析力は高い。客観性もある。IT起業家を彷彿とさせる今風のスタイリッシュな秀才だ。

就職。ITの先端企業へ。

「大学ではフットサルのサークルに入ります。塾の講師も4年間。DeNAでインターンもしました。新規事業のチームに入って、刺激的でしたね。就職したのはワークスアプリケーションズです」。
サイバーエージェントや楽天もウオッチしていたそうだが、選択したのは、システム会社。ワークスアプリケーションズでは1年間セールス、3年間エンジニアで計4年在籍。エンジニアに転身してからは、全社のMVPも獲得。年収も800万円以上になっていたそうだ。しかし、独立心は抑えきれない。
「2社目に就職したのは、教育系のスタートアップ企業です。1年間働かせてもらいましたが、会社が資金調達に失敗したことで従業員数も半数になり、将来に不安を覚えて退職。そのあとはしばらくフリーランスをしました」。
そのあと、トランスコスモスの子会社立ち上げの時に声がかかり、執行役員になったという。「在籍は2年くらいですね。安定したポジションにいたこともあって、このままでは私自身の成長が鈍化していくと思ったんです。独立したほうがいいじゃないか、と」。
高校生の時から思い描いた独立の道へ進む。しかし、どうして飲食だったんだろう。いままでとはずいぶん世界がちがう。

究極のブロッコリーと鶏胸肉。

「もともと飲食でスタートしようとしたわけではないんです。私がめざしたのは、いま世の中にある課題を解決することでした。そこにビジネスのチャンスがあると思ったんです」。
世の中が抱える課題の解決
「そうです。じつは、いまもそれが、我々の事業の目的です」
つまり、最初に目をつけた課題解決の方法が糖質制限だったわけですね?
「そうです。『糖質制限』を課題解決と設定して気づいたのは、糖質制限やダイエットの飲食店がないということでした。それで『これだ』と思ったんですが、カベにぶち当たります。開業資金が多く必要で、融資も別業界出身のわたしにはなかなか下りないんです/笑」。
「ゴーストレストランなら」と思い切って起業する。
これが、2019年8月のこと。
「最初は店舗を間借りしてデリバリーメインでいこうと考えました。メニューはサラダ。ダイエットといえばサラダという発想です」。
だが、サラダだと競合も少なくない。いかにも、安直は発想という気もしなくはない。
「そうなんです。サラダでやろうと思って色々シミュレーションしたんですが、うまくいく気がしなくて/笑。いろんな人と会食しているなかで、不意に鶏胸肉とブロッコリーだ!とひらめいたんです」。
思いついたときは「電撃が走った」と言っている。
「すぐに、『究極のブロッコリーと鶏胸肉』と名付けました」。むろん、「究極の」である。そうすぐに究極は生まれない。「そうなんです。どうすればおいしくなるのか。試行錯誤がスタートします」。
その頃の塚本氏は、飲食店で働いた経験はおろか、自炊の経験すらない一般男性。発想はいいが、果たして、「究極のブロッコリーと鶏胸肉」は完成するんだろうか。

初日のオーダー、2食。

「最初は渋谷のバーを間借りして始めます。Uber Eats1本です。アルバイトもなし。最初のロゴはインターネットのAI作です。いまはデザイナーにつくってもらっていますが」。
4ヵ月、昼間のバーにこもって試作を繰り返した。鶏胸肉とブロッコリー。シンプルだから、ほかに逃げようもない。ストイックな食事メニューは、ストイックな研究から始まったと言っていい。
もしもの話だが、塚本氏が、飲食出身だったとしたら、そぎ落とし作業ではなく、付け足すことを繰り返したのではないか、と思う。少なくとも、塚本氏以外がつくれなかったのは、塚本氏が、飲食出身でなかったからではないだろうか?
ともかく、店舗は8月5日にオープン。「最低30食が目標だったんですが、初日は…、2食です/笑」。
2食はつらいですね?
「そう。でも、日に日に注文数がふえて、おかげ様で、六本木に2号店を出店することになります」。
食事制限という課題解決の方法にひとつの答えを提示できたわけですね。
「そうですね。課題があって、それを解決するために生みだされた食事です。ただ、2店舗目の時に、直営だけでは、無理だと思ったんですね。出店スピードもそうですし、エリアもスピーディに広げられない。だから、フランチャイズにシフトします」。
いよいよ今のかたちが誕生する。

・・・続き

株式会社DORAYAKI 代表取締役 塚本洸介氏

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

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