2018年4月28日土曜日

株式会社デイジイ 代表取締役 倉田博和氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社デイジイ 代表取締役 倉田博和氏登場。
本文より~

デイジイ朝日堂。

「親父やお袋が、うちの職人さんたちに手を焼いているのを観ていたから」。
パン職人を志す。その始まりは、小さな頃にあった。倉田氏のご両親は、倉田氏が生まれた1962年にデイジイ朝日堂(現川口店)を創業されている。
「登校する前によく手伝いをしていた。パンは焼けないから、苺を洗ったり卵の殻をむいたり。あぁ、小学校の頃からだよ」。
同い年の、店といっしょに育っていく倉田氏。店も同様に少しずつ売り上げを伸ばしていく。
「サンドウィッチがいちばんだったかな。親父もお袋もパン職人じゃないから、そのぶんアイデアを凝らして、カツサンドを作ったり、焼きそばサンドにしてみたり。いわゆる惣菜パン。アレは、よく売れたんじゃないかな」。
実は、倉田氏の母方は、親族のだいたいがパン屋で、ベーカリーショップの一族なのだそう。「自分が半年くらい経営の勉強に行った船橋の叔父さんのところもその一つ」。もちろん、川口市には、デイジイ朝日堂だけである。

生活指導員と部活顧問。

中学になってバレー部に入った。生活指導員でもある、国語の教師に勧められたからである。「今じゃ、できないけど、当時は殴るのも許容範囲で、いちばん自分が教育されたかな(笑)」。
倉田氏はエースアタッカー。「わりと強い学校で、北区ではいちばん。都大会にはいつもでていたし、一つ下は、全国大会にもでている」。
この教師の影響で、本を読むようになったそう。もっとも勉強はあまりしない。
「この頃もそうだよな。職人さんが休むと自分が仕事しないといけないから、いつも予定が立たないし、嫌な思いもした。だけど、うちの親父は人の悪口はぜんぜん言わない人だからね。でも、自分からみていると、結局技術があることは大事だと痛感した。だって、うちの親父は職人じゃないから、その分苦労を知ってる」。
小学校の頃に思っていた漠然とした思いが、「言葉」となってかたちを現す。キーワードは「職人」の二文字だった。だから、「いつか職人にならなくっちゃ」という思いがあったのも事実である。

無期停学で、西ヨーロッパへ。

「高校にはもちろん進学したよ。高校でも生徒会長にもなったりした。でも、もう部活はしていなくって。だから、まぁ、いろんなことができるわけで、あることがきっかけで無期停学になっちゃうんだ」。
1週間に1度、校長室に登校して、珈琲を淹れて、校長先生といっしょにお菓子食べて話をする。
「ちょっとしたケンカだったんだ。自分は首謀者でもなんでもないのに、いつの間にか首謀者に祭り上げられてしまっていたんだよね。で、その責任を取らされたってこと。でもまったくの無実。それが真相なんだけど。当時はもうどちらでもいいかなって」。
「それに、停学のおかげでいいこともあった。自分の人生のターニングポイント」。
倉田氏、実はこの停学の期間を利用し、西ヨーロッパに渡っている。
「ま、いろんな理由があるけど、とにかく行ってみたいなと思って。1週間に1度、校長先生とお菓子食べるのが、仕事みたいなもんだから、暇だった」。ヨーロッパは、イタリア、スペイン、フランス、デンマーク、イギリスを転々とする。
「飛行機の中で、知り合った人が向こうで『画廊』やっている人でね。当時のローマ法王とも話ができるってすごい人だったんだよな。その人にいろんな店に連れてってもらった。チーズ、パスタ、もう、『ほっぺが落ちる』じゃなく、『度肝を抜かれる』くらい旨かった。まさに衝撃だった」。
スペインでも、フランスでもおなじような、衝撃を受ける。「まだ、イタリアンも、フレンチも、今ほど日本に定着してない時代だからな。でもまぁ、そういう時代に言葉も知らないのに、よく行ったもんだ。ま、お金が潤沢にあるわけじゃないから、いつも、どの国に行っても、スーパーに行ってパンを買って、公園でブランコ乗って食べていた」。そんな時は、決まって空を見上げて、中島みゆきを歌った。「あれが、いうなら自分が海外に行く、始まりだった気がする。だから、自分にとってあの1ヵ月は、人生のターニングポイントなんだ」。
高校を卒業すると、倉田氏は迷うことなく、「日本菓子専門学校」に進む。

職人、実家へ、凱旋す。

「当時は、出席日数もギリギリで、担任泣かせの生徒だったと思うよ。なにしろ担任本人がそう言っているから、間違いないだろ」。
当時の担任の先生は、今校長となり、出席日数ギリギリだった倉田氏は、縁あって、今や同校の講師を務めている。
「ともかく、学校に行くまでいろんな誘惑があるんだよな、これが。ま、いい生徒じゃなかったのは、たしかだよな(笑)」。
「それからどうしたって? 2年制だったから、2年間、その学校に通って。反省もするんだよな。それで、ともだちがいない関西に行けば、自分もちゃんとするだろうって。そう思って、1人、関西に行って、もう、職人になるって決めていたから、いろんなパンやケーキを食べ歩いて。それでいちばん旨かった、京都山科にある『ローヌ』ってお店でお世話になるんです。計5年ですね」。
「今じゃうちもそうなんだけど、スタッフにドイツ人やスイス人もいたりしてさ。国際色も豊かなんだよね。ま、それだけ店主がすごい人だった。あの5年も、自分にとっては貴重な日々。そりゃ、感謝している」。
5年の修業を経て職人となった倉田氏が、両親が経営する「デイジイ朝日堂」の軒先に立ったのは、25歳の時である。
・・・続き
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