in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社理想実業 代表取締役 布施 真之介氏登場
本文より~フレンチとラーメンが協演する、一杯のラーメン。
神座の創業者、布施正人氏がフレンチのコックをされていたのは有名な話。その話を知らなくても食べてみると、ホームページにある「フレンチとラーメンの協演」という言葉に頷くことになる。
今回は一杯の器のなかでフレンチとラーメンの協演をしてみせた稀代のラーメン店店主 布施正人氏の息子であり、現在、㈱理想実業の代表取締役を務める布施真之介氏にお話を伺った。
「神座の創業は1986年、私が3歳の時。4坪9席からスタートしています。その時の記憶はもちろんないですが、少し大きくなると記憶も鮮明になります。仕事が終われば従業員がうちにご飯を食べにくるんです。なかにはお酒を飲む人もいて、私は父の膝の上に座り、父と従業員の話を聞いていたように思います。酒の肴になっていたかもしれませんね(笑)」。
布施氏が言うとおり、神座は1986年7月19日に1号店をオープンする。もともとフレンチレストランのオーナーだった先代正人氏だが、災害をきっかけにラーメン店に関心を持ち業態をチェンジ。フレンチの技量を盛り込んだ絶妙なバランスのスープが生まれ、神座は大阪中にファンをつくる。
「私自身は神座の息子と言ってもどこにでもいる少年です。野球と少林寺拳法を小学2年から高校卒業まで続けていました。今とほとんど変わらないような、負けず嫌いな少年でした」。
家業を継ぐことを意識したのは早く、小学生の頃。中学では生徒会長、高校は奈良の進学校に進んでいる。
大学へ。そして、就職。
「高校卒業後はアメリカに留学しています。合計2年弱。2001年9.11のテロの影響が留学生にも及ぶ中で残るか、戻るかの選択に迫られ、日本に戻り慶應義塾大学に再入学しました。大学時代のアルバイト先は神座でした」。
アメリカに留学したことにはちょっとした挫折がある。
「今になればなんてことないんですが、京都大学の受験に失敗しショックが大きすぎて。浪人して東京大学へとも言われたんですが、心が折れてしまって(笑)。東大や京大には友達も進学していたので、だったらアメリカだと」。
東大や京大もそうだが、アメリカが次にくること自体凡人にはない発想だ。
ところでアルバイトの話の続き。
「神座では私が社長の息子というのはバレていた」と笑う。そりゃそうだろう。高校生の時から店長会議にも出席していたそうだから。
ただ、社長の息子であってもそれを斟酌する余裕は周りのスタッフの人たちにもなかったのではないか。関西ではもちろんだが、東京でも神座は絶大な人気ラーメン店となっていた。つまり、斟酌される暇もする暇もない。
子どもの頃から事業継承を想像し、大学時代から神座でアルバイトをしていた布施氏だったが、大学卒業後は神座ではなくファンドに就職している。
「ゴールドマンやモルガン・スタンレーのような投資銀行に行こうとしていたんですが、将来役立つのは金融の中で経営を学べるところだと思って。最終的には「さわかみファンド」で有名な『さわかみ投信株式会社』に就職します」。
当時は新卒採用を行っていなかったらしい。にもかかわらず布施氏は電話で直談判して就職している。
パッションを認められたからだろうか。入社すると、創業者である澤上会長のすぐ後ろに布施氏のデスクが用意されていたそうだ。
仕事はいかがでしたか?
「アナリストとして企業調査を通じて様々な経営スタイルを勉強できるだろうと入社するわけですが、予想以上に色々な勉強ができた3年間でした」。
ただし、仕事はハード。朝5時に出社し、深夜1時、2時に帰宅というハードワークも行っていたらしい。土日はリサーチや勉強の時間。つまり、遊ぶ暇もない。「とにかくハードというか。恥もたくさんかきました(笑)」。
恥、ですか?
「ええ。週イチでお客様を前に1時間、テーマはなんでもいいんですが講演しないといけないんです。今ならラーメン業界のことを堂々と喋れますが、なんのバックボーンもない新卒なわけで」。
何を語るか一週間かけて検討し用意してもわずか5分で喋ることがなくなってしまう。
「恥も、汗もいっぱいかきました。でも、そういうのも大事な経験なんだなと思います」。
『さわかみ投信株式会社』での在籍期間は3年程度だが、わずか3年でアナリストチームをマネジメントするまでにもなっていた。恥も、汗も、かいたおかげだろう。
そのあと、神座ですか?
「ハーバードのMBAにチャレンジしようかともう一度アメリカに渡ろうと思っていたんです。ただ、そのタイミングで母から帰還命令があって」。
悩むところですね?と聞いたが、実は即答だったそう。
「父親が60歳になっていましたから。そういう意味では小学生の時の誓いを忘れていなかったわけですね」。
むしろ、海外留学もファンドへの就職も、いずれくる事業継承のためだったと言っていい。家業を継いで神座を「経営」する。布施氏はここに至るまでも、何度もこの言葉を使っている。
誓いを胸に、神座へ。
2010年当時の神座は、いっときの勢いをなくしていた。
「利益率はちゃんと高かったんです。その分、ラーメンの価値は守られていたわけですね。ただ、売上は下がり続けていました」。
いっときの勢いがなくなったということですか?
「そうですね。人の流れがロードサイドの店から商業施設に変わったのも背景にはあると思います。ただ、㈱理想実業という会社にも問題があったのは事実です。両親も『職人としてやれるのはここまで』と言っていました」。
つまり、ラーメンの職人集団だったということですか?
「その通りです。トップに創業者の正人氏がいて、あとはすべてラーメン職人でもある店長です。本社の社員は2名だけ。評価のモノサシは店舗オペレーションのみ。弊社の大切な職人をバックアップする体制には全くなっていませんでした」。
「組織がなかった」と布施氏はそう表現する。
「会社の方向性を定めることからスタートしました。理念を掲げ、それに向かう組織をつくることにも着手します。新規出店ができるようになるには2~3年かかり、カルチャーを変化させるのには5年かかったと思います」。
神座が、ふたたび帆を張る。
それを見届け、布施氏はいったん神座を離れ、投資会社を設立する。「最初の3年はがむしゃらに仕事をしました」と布施氏。延べ10数社に投資。良好な投資成果を得る。 「ただ、軌道に乗るとだんだん面白さがなくなっていくんです。やっぱり私は布施正人の息子であり、経営者だったんでしょう。飲食がいちばん面白いと改めて実感します。ただ、ラーメンは神座があるのでそれ以外でと思って。うどんや蕎麦をはじめ様々なブランドをリリースできる会社『㈱ZIPANGU』を設立します。神座が1000億円ブランドなら、こちらは10億円のブランドが100あるイメージです」。
現在、この「㈱ZIPANGU」は「㈱理想実業」の中に組み込まれている。「私が『㈱ZIPANGU』を立ち上げたタイミングでまた戻ってこいというオファーがありました。父親は70歳になっており。2010年と同様、伸び悩んでいたのも事実です」。
2020年の話ですよね?
「そうです。コロナ禍の真っ只中です(笑)」。
神座の業績は前年売上71億円から49億円まで急降下していた、という。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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