2020年5月19日火曜日

株式会社CHAYA マクロビフーズ 代表取締役 小川博行氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社CHAYA マクロビフーズ 代表取締役 小川博行氏登場
本文より~

地元、山梨の食品メーカーに就職。

「合宿費を捻出するために、アルバイトに明け暮れた」と話すのは今回、ご登場いただいた「CHAYA マクロビフーズ」の代表取締役、小川博行氏である。
「学生時代の話です。もともと私は山梨出身。中学生の時から競技としてアルペンスキーをしています。大学進学で上京するんですが、大学でもアルペンスキーをつづけました。その時の合宿ですね」。
バイトではないが、おしゃれなレストランにも通った。
「はなやかな東京ですからね。じつは、卒業したら山梨に帰る予定だったんです。だから、東京で暮している間だけでしょ、そういうおしゃれなレストランに行けるのは…。太陽が落ちれば暗くなる山梨に、そんなレストランはありませんから/笑」。
予定通り、山梨に帰った?
「本音でいえば、東京で就職したかったですね。でも、両親の勧めでUターン就職しました」。
小川氏は1974年生まれ。中学からアルペンスキーをしているといったが、じつは小・中・高と野球もしている。運動神経に恵まれていた証だろう。
「スキーをはじめたのは、親父が好きだったからです。ただ、親父も兄もスキーはしていましたが、競技にでたのは、私1人です。大学でもスキーをやって、好きなようにさせてもらっていましたからね。親のいうことも聞かなくてはいけないと思って」。
それで、山梨の会社に就職したんですね?
「そうです。就職したのは、従業員240名くらいの食品メーカーです。こちらで5年間、勤務します。就職した理由は、『食』に関心があったから。ただ、当時の食品メーカーって、とても良い環境だったんですが、私にとってはエキサイティングではなかった部分もあり、このままでいいんだろうか?って。若いから、そう思っちゃうんです」。
得意先は、スーパーマーケットや百貨店、一部にホテルのレストランがあったそう。
「相手も食に関する仕事をされているお店ばかりです。そのなかで、ホテルのレストランで仕事をする人たちをみて『楽しそうで、いいな』って思っていました。何度も通ううちに、『こんなメニューやサービスがあればいいのにな』って想像するようになるんですね」。
だんだんと飲食の仕事に惹かれた?
「そうかもしれませんね。それで、レストランとかの仕事を勉強したくなるんですが、どうせやるなら、東京のレストランだろって思うようになって」。

27歳、ふたたび東京へ。

就職して5年。もう27歳になっていた。けっして遅くはないが、早くもない。飲食の世界では10代からスタートする人も少なくない。
ところで、転職先は最初からグローバルダイニングに決めていたんですか?
「大学時代に行ったゼストが恰好いいと、山梨をでる時には、もう頭に浮かんでいたんです。たまたまかもしれませんがネットで調べたらヒットして、『中途採用』を行っているのがわかったので。ハイ、入社させていただいたんですが、選択したのは、ゼストじゃなく権八です」。
当時のグローバルダイニングの話は、数人の独立経営者からもうかがっている。
「採用してはいただいたんですが、経験がないから、最初はアルバイトからだと言われたんですね。たしか時給900円とかじゃなかったかな」。
アルバイトといっても、レギュラーとかわらない。むろん、容赦もない。「20歳の先輩が、バンバン言ってくるんですよね、27歳の新人に。『そこ、何やってんだ』って。そりゃ、最初は怒られてばかりです/笑」。
そもそもご両親は反対されなかったんですか?
「親父は、『好きにしろ』って人ですからね。ただ、母親は、東京に行くってことより、どうして飲食店なんだって。山梨ですからね。まだ、飲食といえば水商売と思われていた時代だったんです」。
たしかに、そんな時代はあった。「ただ、東京ではもう飲食店がブームをつくり、人を動かす、そんな時代でもあったんですね」。そのさきがけが、グローバルダイニングだった。
「アルバイトでも、時給は青天井でしたし、飲食店のなかでは給料も群を抜いていたんじゃないでしょうか」。社内には天才たちがたくさんいた。
ちなみに、グローバルダイニング出身の経営者には、このサイトにも何度もご登場いただいている。
「ゼストもそうですが、グローバルダイニングという会社は、時代っていうのをたしかに動かしたと思うんですね。経営という意味でもほかとは異なっていました。グローバルダイニングのスタンダードは、ほかからみれば憧れという言葉になったんじゃないでしょうか。もっとも、休みもなく、飲みに行っても仕事の話ばかりです。ハッキリ言って、飲食が好きじゃないとつづかない会社だったんじゃないかな。ただ、飲食が好きで、頑張った人も、やがては『独立する』といって離れていくんですが…」。
小川さんもその1人ですよね?
「まぁ、そうですね」といって、小川氏は笑う。グローバルダイニングの「権八」で「飲食のちから」を思い知った小川氏が、このあと、飲食のもう一つのちからを知ることになる。

34歳で「マクロビオティック」を知る旅をスタートする。


「グローバルダイニングを卒業させてもらって、当時は、独立するか、それともグローバルダイニングとは対局にあるようなコンパクトな会社に入るかで迷っていたんです」。
「ヘルシー」ってことにも関心があったんですか?
「たしかに、『食』には関心がありましたし、どうしても不規則になりがちでしたから、食べ物に気を配っていたのも事実です。とはいえ、一般的なことで、その時から『マクロビオティック』をちゃんと知っていたわけじゃないです」。
マクロビオティック?
「そうです。マクロビオティックです。マクロビって省略して言ったりしますが、知らない人は、ストイックな生活をイメージされがちなんです。食事制限でもない。簡単にいうと、日本の伝統食をベースとした食事をし、自然と調和をとりながら、健康な暮らしを実現していこう、ということ。これがマクロビオティックの精神なんです」。
禁止されている食べ物はないそうだが、肉、卵、乳製品、精製された白砂糖、化学調味料などは、使用を避けているそうだ。
「そもそもは、『日影茶屋』さんの先代が、約20年前になるんですが、これからはヘルシー志向だと、このマクロビオティックに着目されるんですね。さっき、創業300年の老舗と言いましたが、じつは、カジュアルフレンチのさきがけと言われる『ラ・マーレ』も、こちらが運営されているレストランなんです。先見の明がおありだった証ですね。普及を目的にこのレストランのバンケットで月2回くらい『マクロビオティック』に関する1Dayレッスンもされていたようです」。
「その日影茶屋さんが、当時、マクロビのレストランを4店舗くらい出店されていました。新宿、日比谷、汐留、横浜ルミネだったかな。そのなかで、私は最初、新宿店の店長としてスタートするんです。だって、食材からちがいますからね。もちろん、お客様もちがうでしょ。だから、知ることからはじめないと何もできないですから」。
いわば34歳で、再スタートである。
・・・続き

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