2007年8月23日木曜日

セールス大学 伊吹卓(キイストンホームページ寄稿より)

第二回



■君が作った広告で売れるのか?
私は二十七歳のとき、コピーライターとして電通に入社しました。
私は一日も早くプロになりたいと思って、本を買いあさり、勉強しまくりました。そして、三十歳のとき、投じ、電通大阪支社の第二位の大広告主であったS社を担当することになりました。
 私はデザイナーと組んで一生懸命アイデアを考え、三案作って提案に行きました。S社の営業部長は私が提出した広告をひと目見ただけでいいました。
「君が作った広告で売れるのか」
「―――――」
 私は絶句しました。
 あまりにも思いがけない言葉でした。私が勉強してきたことのなかには、そのような考え方はまったくなかったのです。私は強烈なショックを受けました。頭の中で爆弾が破裂したようで、頭の中がまっ白になりました。そのあと、いろいろな思いが走馬灯のようにクルクルと回りました。
(何も知らない!)
(いったい、何を勉強していたんだ!)
(そんなムチャクチャな質問のしかたがあるか!)
(そんなことがわかるのなら、おまえの会社の社長になってやる!)
(おまえにそれがわかるのか!)
(偉そうなこというな!)
(ぶっ殺したろか!)
(いや、怒るな。怒ったら首になるぞ!)



 書くと長い時間のように見えるでしょうが、ほんの数秒のことでした。黙っている私に対して叱責が飛んできました。
 「返事ができないのは、売れない証拠だ。作り直してきなさい」
「―――――」
これにも絶句でした。
私はすごすごと帰るしかありませんでした。私は、帰りのタクシーの中で大葛藤をしていました。
(こんなイヤな商売やめてしまおうか?)
(ちょっと待て。プロなら、あの質問に答えることができたに違いない!)
(そうだ。俺はまだアマチュアだ。一流の仕事をしたことがない。そうだ。プロになろう。今に見ていろ。「俺が使った広告なら売れるのだ!」といえる人間になってやる!)
 そこまで考えたとき、私の心は静まりました。


■「売れるかどうか」がわかる人になりたい!
私は会社に帰って先輩に事情を話して、たずねました。
「こういうときには、どのようにいったらよいのですか」
「そういうときには返事をしてはいかん。『この広告では売れません』などといってみろ。売れなかったとき電通が責任をとらなくてはならん。そうかといって『この広告では売れません』などといってみろ。話にならんだろ。だから困ったふりをして、もじもじとしているのがコツだ」
「―――――」
私は心の中で反発していました。
(先輩はかしこい。そういうふうにしていれば、なんとかなるかも知れない。でも俺はいやだ。なんとか『売れるかどうか』がわかる人間になりたい!)
 私はそのように心に決めてしまいました。
「決心」という言葉があります。
 だれでも知っている言葉ですが、決心にはピンからキリまであります。
 そのときの私の決心は、最初から一生をかけた決心でした。その証拠をいくつも思い出します。
S社へ行って一年ほどたったころでしょうか。ある広告主の社長に会ったときにいいました。
「私は『売れるかどうか』がわかる人間になりたいのです。」
そうしたら即座にいわれました。
「そんなことがわかったら、私の首をくれてやる」
私は心の中でつぶやきました。
(今に見ておれ。お前の首を取ってやる!)
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私は何百冊もの本を調べました。会う人、会う人にたずねました。しかし、「売れるかどうか」という判断術、判断力のことについてはまったく何も見つかりませんでした。そのことがかえって私の心を奮い立たせました。
 (そうか。『売れるかどうか』がわからなくて世界中の人たちが困っているんだ。もし、それがわかるようになったら、世界中の人が助かることになる。これは、すごいことだ。神様みたいではないか。そうだ。俺は神様になりたい!!!)
 「神様になりたい」などということは、狂気の沙汰です。そんなことは百も承知していました。だから私は、そのことを四十年間かくして、ただひたすら『売れるかどうか』がわかるようになりたいという道をまっしぐらに突っ走ってきました。そして、四十代の中ごろには「ヒット率百%の商品開発ができる」というイメージをつかんでいました。
 一度イメージをつかむと、そのイメージはスクスクと育ちました。そして十数年後の1992年にサンマーク出版から『ヒット率百%の商品開発』(伊吹卓)という本を出版してもらったのでした。


■「ヒット塾」からヒット・メーカー続々誕生
 私は三十年来のノウハウを投入して「ヒット商品を作るプランナーを育てるヒット塾」をつくりました。そのノウハウを心ある人に売りこんで、全国各地で「ヒット塾」をやってもらいました。そして、どこでやってもヒット・メーカーが育ちました。
 それにもかかわらず、それらの「ヒット塾」は一つを除いて、すべて中止になりました。その一つが大阪の「ICIマネジメント」(中村哲夫 ℡ 06-6377-1515)主催の「売れる商品開発塾」です。
 この開発塾は、おかげさまで第二十四期に入っています。そして、すでに数十名のヒット・メーカーや成功者が育っています。
 ある大手の企業では、単独に三十名のプランナーの研修会を月一回(一年間)でやらせてもらいました。そして、その研修期間中に三つのヒット商品が生まれました。その一つは、二年間で五百万個弱も売れました。私は改めて「ヒット塾」の不思議さを再認識したのでした。
 このようにいうと誤解をされそうですが、ヒット塾のノウハウは実は、偉大な経営者の経営ノウハウを五十年間研究して再構築したものにすぎません。そのバックボーンは「商売上手の二大秘訣(苦情法・着眼法)」です。
 この二大秘訣にはいくつものサブ・システムとしてのノウハウがあります。それらをカリキュラム(教育課程)として六ヶ月にアレンジしたのがヒット塾です
 ヒット塾の特色は実践主義、体験主義です。つまり、講義はきわめて少なく、塾生一人ひとりに宿題が与えられ、翌月、それを全員が発表するのです。
 「商売上手の二大秘訣」を根本原理とした宿題を六ヶ月やり続けていると、だれでも頭脳の中に持っている「天才のソフト」が、外へ出てくるのです。
 「人は皆、天才」なのです。ところが、この「天才」は理性に弱いのです。つまり知識をたくさん持てば持つほど、かくれてしまうのです。
 私は『人材革命』(伊吹卓 PHP研究所)の中で「人は教えるとバカになる」という原理を書きました。この原理は、まことに矛盾しています。偉大な経営者は、この矛盾を乗り越えたのです。
 この原理は、非常に説明しにくいものです。しかし、多くの人がひそかにそのことを感じているものです。私が書いた『バカになれる人ほど人望がある』(大和出版)がベストセラーになったとき、私はそのことに気づいていたのでした。
 人間というものは、不思議なものです。私は「売れるかどうか」に挑戦することによって、人間の不思議さを、数えきれないくらいたくさん発見したのでした。


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