2018年8月9日木曜日

株式会社ビープラウド 代表取締役 大山 淳氏登場。

本文より~

スポーツも、勉学も、よくできる少年、大山。

インド人と日本人のハーフなんだそう。「私がこどもの頃はまだハーフっていうのが珍しくって、イジメに遭ったこともある」と笑う。今回ご登場いただいたのは、「淡路島カレー」で有名な株式会社ビープラウドの代表取締役 大山 淳氏である。
「私は大阪の吹田市で生まれました。育ったのは豊中市です。父親がインド人で、母親が日本人。5つ離れた姉がいます。大山家のはじまりは、父方の祖父が貿易の仕事で来日したのがきっかけです。父親も貿易の仕事をしていましたので、その関係で私もよくアメリカに行っていました」。
もっともそれは、小学6年生までの話。小学6年生の時に父親が亡くなってしまう。「小学生の頃からサッカーをはじめ、中学に上がってからも、サッカーをつづけます。高校は、自宅からそうかからない家チカをキーワードにして選択しました」。「家チカ」。そうはいっても、校名を聞いてわかったのだが、大山氏が進んだのは、関西でも有名な超進学校だった。

アルバイトは、ヨーロッパをめぐるブランドもの、買い付けの旅。

「大学は、『関西大学工学部応用化学学科』に進みました」。なにやらむずかしそうな学科名だ。「進んだのはいいんですが、もっぱらバイトです。工学部ですから、勉強しなくっちゃいけないんですが/笑」。
なんでも、経験したバイト数は、50以上に及ぶそう。なかでも、「ブランド品の買い付けのバイトがいちばん面白かった」と語っている。
話を聞いていると、たしかにわくわくする。
「当時は、今以上にブランドものが高く評価されていて、私の仕事は、そのブランドもののバッグなどの買い付けです」。
およそ2週間、北欧からスタートし、イタリアまで南下。そのなかで、ブランド品を次々、購入していく。「ブランド品は、同じモノを何個も買えないんです。怪しまれるんですね。だから、いろんな方法を考えて」と大山氏。
旅費はもちろん食費もただ。収入はというと「2週間で40万円くらいになった」というからうらやましい。
「ところで、その当時から、起業すると思っていましたか?」。そんな質問を直截にぶつけてみると大山氏は、首を縦に振り、ちから強く答える。「たぶん、父親の背中をみていたからでしょう。それも、大きかったはずです。その一方で、人に使われるサラリーマンにはなりたくなかった。だから、答えは一つです」。
バイトもただ、バイト代確保のためだけではない。目的がある人はつよい。ただ、バイトに精を出しすぎて、卒業まで6年かかっている。

「企業」の二文字にも惹かれ、ベンチャー・リンク入社。

起業という目標を高いレベルで実現するために、就職時に選択したのがコンサルタント会社の「ベンチャー・リンク」。「ベンチャー・リンク」については、改めて言うまでもないが、「サンマルク」や「牛角」などを大企業に育てた会社である。
 「ユニークなビジネスを探し出し、全国的なフランチャイズブランドに育成するのが、ベンチャー・リンクのビジネスモデルです。私は、赤字を抱えたフランチャイズ店をバックアップする部署にいました。勤務期間は、合計7年です」。
様々な経験ができた。聡明な大山氏のことである。フランチャイズビジネスを体験することで、本質を咀嚼し、強みも、弱みもすべて理解したのではないか。少し先走るが、それが今に生きている。
「今だから言えますが、月に480~500時間はたらいていました。勤務時間だけではありません。担当するのは、50代、60代の経営者です。生活がかかっています。若造の意見なんて、聞いてもくれない人もたしかにいました。だから、なにより結果にこだわりました。信じてもらわないと、サポートもできませんから」。
大山氏は大学卒業するまで6年かかっているから、7年で、30歳。
「そうなんです。30歳までに起業しようと思っていました。もちろん、そう簡単じゃないことはわかっていました。だから、初期投資は少なく。失敗しても大丈夫な額だと。そういう意味では腹をくくっていました」。
独立するにあたって、つい背伸びをして、大金を投じてしまう経営者は少なくない。ただ、リスクはそのぶん、大きくなる。そもそも、起業はギャンブルではあってはならないと思う。そういう意味でいえば、日本はまだそのあたりのセーフティネットが整備されていない。
「ともかく、お金をかけたくないので、スタートしたのは移動販売です」。リスクが少ないため、失敗しても、次のチャンスが残る。「ところで、移動販売って、目立つように車に商品名をバーンと描くでしょ。あれ、なんでかな、って思っていたこともあって、うちのは車体には手を加えず、看板に商品名をドーンと載せました。すると、看板をかえるだけで、いろんな商品を販売できます。今日は暑いからクレープ、今日は寒いからから揚げといった具合です」。
いいアイデアだった。だが、そううまくいかなかったのも事実である。
「私が起業したのが2009年です。この仕事の一方で、ベンチャー・リンク時代からの流れで、コンサルタントをしていました。こちらのフィーで、なんとかトントンといった感じでした」。
・・・続き
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