キイストン取締役でミストラル社長の江川広太が、元物語コーポレーションの北村さん運営のSTANDS JOURNALというYouTubeに出演させて頂きました。
リーダーたちの「決断」と「人生の分岐点」にフォーカスし、 対談形式でお届けします。組織づくり、カルチャーづくりのヒントを探ります。 聞き手:株式会社STANDS 代表 北村 聡(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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“飲食の戦士たち”で株式会社double 代表取締役 松井勝也氏登場を取り上げました。
「学歴がないんで、選択肢が『飲食』か『現場』か『中央市場』の3択やったんですよ」と言って、株式会社doubleの代表取締役 松井さんが笑う。
3つの選択肢のなかで、選んだのが飲食。その理由をうかがうと「朝が苦手で、人と話すのが性格的に向いていると思って」との回答。
中央市場はちかくにあったから候補に入れたが、朝が早すぎた。
「勉強ができる人は色々と選択肢があるんでしょうが、ぼくの場合は少ないから、迷いもなかった」。
恩田陸という小説家が、『球形の季節』のなかで「何かを決められる人というのは、よほど恵まれているか、よほど選択肢がないかのどちらかだ」と書いているが、分類すれば松井さんは「よほど選択肢がない」人になる。
ただ、それが悪いわけではない。松井さんの場合、ラッキーなことに選択はまちがっていなかった。
「飲食なら学歴に左右されないでしょ。親がいうから高校には進みましたが、高校2年のときに1つ目を退学。べつの高校に移って3年から始め、だぶって4年目の真ん中くらいまでいて、そっちも退学します。学校のレベルですか、偏差値でいうたら、37と36ぐらいの戦いやったと思います(笑)」。
「それでも学校は好きで、結構行ってましたよ」と松井さん。
「結構」という表現が面白い。
「人とおるんが好きなんで。夜中、ツルんでボウリング行ったり、バイク乗ったり、グレてる少年たちが送る、ありきたりの生活をしていました」。
<高校は卒業されたんですか?>
「いや、さっきも言いましたが、途中で。でもね。高校1年から始めたアルバイトは3年つづけました。好きなことはちゃんとする、そんな性格だったんですね。いま思うと(笑)」。
松井さんは1994年、大阪の福島に生まれている。兄弟は、男3人。松井さんは長男で、今、次男の利也さんと一緒に事業をしている。
<小学生時代を教えてください>
「勉強はぜんぜんできへんかったね。だから、野球かな、楽しかったのは。勉強はでけへんかったんですが、公文はしてました。中の下くらいやったかな。記憶力がないから、漢字が大の苦手で、今も克服していません(笑)。野球はシニアリーグでやっていました。兄弟3人。全員、野球をやっています」。
<先日、弟の利也さんをインタビューさせていただきました。お父さんが事業を失敗されたと聞いています>
「父は、もともとホテルの料理人やったんです。独立してパチンコ店をオープンしたんですが、私が小学校低学年のときに失敗して。生活のレベルがいっぺんしました」。
ちなみに、お祖父様は、豪邸を3つ、軽井沢に別荘もお持ちだったそうだ。
「祖父は、お金持ちでしたね。遺産とか色々あったかもしれません」。
「とにかく、お金は怖い」と松井さんはいう。父親を慕っていた人が、破産すると、とたんに距離を置く様子をみていたからだ。
両親の喧嘩も、殺伐として、色がなくなった。
<それでも、今、事業を起こされています。そこは怖くなかったんですか?>
「それは、まったくない。ほかに道がなかったからかもしれませんが」。
そう言って、冒頭の話になった。
高校1年から3年間、アルバイトしたのは、関西らしくお好み焼きのお店。「学生やフリーターから可愛がってもらった」と可愛らしいことをいう。
高校生を4年ちかくやり、中退。学歴は中卒。「学歴もないから」と、選択通り、飲食に進む。
「梅田で焼鳥の店があって、私が働き始めたときで30~40店舗あったんちゃうかな」。
<ホールとか、キッチンですか?>
「いや、キャッチってわかります?キャッチで店の売上をつくっていました。全部で8店舗。キャッチにもノルマがあって、売上目標達成が至上命題です。私が18か19のときです」。
<しゃべりは得意だから、キャッチは向いていますね>
「そりゃ、水を得た魚です。19歳でチームリーダーになって、大学生やフリーターを20人くらいまとめていました。人の上に立つという経験をしたのは、あれが初めて。月収ですか、悪くなかったです」。
「40万円~50万円」と聞いて驚いた。もっとも、東京の新宿でキャッチをしていた人に聞くと、新宿なら、70万も割と簡単にいくそうだ。キャッチ出身の経営者は少なくない。
「これが一つの転機言うたら、転機です。なにが転機やいうても、『オレってできる奴やったんや』って(笑)。調子にのって、なんだかんだ4年つづけました」。
<大学生と接していて、学歴のコンプレックスはなかったですか?>
「ぜんぜんないです。学歴がないのは、そうなんですが、コンプレックスは、うん、ないですね。『できるはずやのに、できへん』っていうのは、コンプレックスになると思うんです。でも、私の場合は『できへんから、できへん』なんで」。
「できへんから、できへん」。哲学的な一言だ。
<弟の利也さんは、大学に進まれています>
「立命館ですね」
<利也さんから、大学入学時にお金を貸してもらったと聞きました。たいへん喜んで、兄貴をリスペクトするようになった、とおっしゃっていました>
「そんなこと言ってましたか?」と松井さんが笑う。
懐が広い。
<ところで、のちに利也さんとおなじ会社でお勤めになったんですよね?>
「そう、私が先に入って。社員というか、副社長のような立場で入って。そのあと、弟も入ってきて。私が大阪で、弟は福岡で」。
そこで何年やられましたか?
「4年です。今あるのは、そこがめちゃめちゃポイントになっています。オーナーは私とかわらない、4つちがいか、まだ、20代やのに、お金の切り方がぜんぜんちがいました」。
<切り方?>
「お金の使い方とお金の考え方みたいな。それをめちゃくちゃ勉強させられた気がしています」。
4年間で、松井さんは、利也さんとともに9店舗をオープンした。
「キャッチのときとはぜんぜんちがって。給与の振り込みから、出店資金、あ、出店資金はオーナーが出してくれるんですが、何年で回収せなあかんとか、そういう回収フロー系や、お金系は全部、計算するようになりました」。
<教えていただいたんですね?>
「いや、そんなん教えてくれません。でも『言え』って言われるから、独学で勉強して(笑)」。
苦手な勉強も、いざとなったらちがうらしい。
「とにかく、むちゃくちゃ勉強させられました。ない頭を使うもんやから、めちゃめちゃしんどかったです。数字やからまだ助かりました。漢字やったら爆発しています(笑)」。
勉強もしたが、めちゃくちゃはたらきもした。
従業員をかき集める。全員、知人。「キャッチの会社もつくった」という。「毎年、正月に倒れた」と笑う。
「そりゃ、全部、ぼくの知り合い。なんかあったらあかん。全員の人生を預かってますから」。
<そのプレッシャーにも育てられた?>
「そこは、結構背負いましたね。給料をやっぱり払ってあげなあかんとか、給料を上げてやるのも自分の選択やったんで。でも、副社長やから、上に社長がいるんです。だから、私が給料上げたくても、社長を通さないとダメでしょ」。
「そこでも、数字が大事だった」と松井さん。
「それに、交渉やないけど、喋りも上手くなかったらあかんでしょ。もちろん、口先だけやったらすぐにバレます。給料をあげることが、どれだけこちらにもいいことなのか。今の会社で『三方よし』を定義にしてるんですが、これなんかは、そこで学んだ大事なことです」。
投資と回収。三方よし。この2つをどれだけ深いレベルで学んだかは、今のdoubleをみれば一目瞭然だ。
話を少し先に進めよう。
<設立は、コロナ禍ですね?>
「そうです。2人で会社を辞めて、独立させてもらいます。分割で9店舗のうち7店舗を買取ました。従業員を守りたくても、さっきいったみたいに副社長やから、好き勝手はできません。でも、守りたい。だったら、選択肢は一つしかなかったんです」。
お店をほぼ全部、買い取った。
<恐怖はなかった?>
「そりゃ、父親をみてますからね。コロナもいつ終わるかわからへんかったし。でも、ある程度、リスクヘッジをしながらですが、『オレたちがあかんかったら、みんなあかんやろ』くらいに思ってもいたんで、ぎゃくにアクセルを踏んだんです。そうしないとみんなを守りきれませんでしたから」。
それから、5年。松井さんがみる風景は、まるでちがっている。兄弟で立ち上げたdoubleは、驚異的なスピードで拡大をつづけ、今や年商は90億円だ。
「弟に聞かれたかもしれませんが、弟は『桐麺JAPAN』という別会社で『桐麺』という有名なラーメン店を経営しています。私も『food culture』という別会社をつくって、そのラーメン店のFCをしています。一緒に始めて、今も一緒にやっているdoubleがあって、互いに別々の会社を経営している、そんなイメージです。その相乗効果で、もっと広がっていくかもしれません」。
2人で経営する会社は、「double」。
「弟と一緒だからdoubleなんですが、もう少しいうと、色違いの2人が背中をあわせて、ちがう方向をみている。そういうのもひっくるめてdoubleと名付けています」。
背中でお互いの体温を感じながら、ちがう方向をみている。一体だが、溶け合わない。そこが、つよみ。
これからもエンジン全開ですか?
「そうですね。弟も全開です」。
ちなみに、設立からわずか5年。doubleの売上は今期、100億円に届きそうだ。
「今、弟と話をしています。6年以内に300億円はいきたいなって」。
海外進出も狙っている。
とんでもない兄弟だ。だが、色違いの2人に、そして、松井さんにやってできないことはない。選択肢は「やる」それだけだから。
背中合わせの「double」の今からに、いつか今よりも大きな喝采を送ることになるだろう。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
“飲食の戦士たち”で株式会社桐麺JAPAN 代表取締役社長 松井利也氏を取り上げました。
2023年の1月、大阪トップクラスの人気ラーメン店「桐麺」の経営者、桐谷尚幸さんが「桐麺本店」はじめ、「中華そば桐麺」「桐ちゃん製麺」の桐麺全店を同年7月末に閉店するとアナウンスした。
「桐麺」は2014年12月のオープン以来行列が絶えず、「食べログ百名店」にも毎年選出された名店だったから、その発表を聞いて「桐麺ファン」が騒ぎ出したのも頷ける。
今回、ご登場いただいたのは、現在、桐谷さんに代わり、この「桐麺」を運営している「桐麺JAPAN」の代表、松井利也さんである。
一体全体、どういう経緯なんだろう。今回も興味深いお話をうかがうことができた。
松井さんと桐谷さんが知り合ったのは、松井さんが16歳の時。
「そのとき、桐谷さんは『ラーメン人生JET』という大阪の名店で店長をされていました。私は常連客の1人。毎週ラーメン人生JETに通っていただけのその客に、ある日、桐谷さんが『お前、おもろいやっちゃな、うちで働けや』っていうんです(笑)」。
<そこからの縁ですか?>
「そうです(笑)。『ラーメン人生JET』が好きだし、桐谷さんもいい人でしたから、二つ返事で『ラーメン人生JET』でアルバイトを始めます」。
<ラーメン人生JETっていうのは?>
「大阪を代表するラーメン店で、店主は山本さんです。スープは鶏白湯で、数々の賞を取った名店です。桐谷さんはその店主の方に惚れ込んで店長として修行をされてました」。
とにもかくにも、これが、松井さんと桐谷さんの出会い。その後、松井さんは、大学を卒業し、飲食ベンチャー企業に入社する。
そして、2020年、兄の松井勝也さんとともに株式会社doubleを設立。同社は、このインタビュー時の2026年現在で、売上100億円に迫っている。
コロナ禍での奇跡。サントリーの年間新規出店数ランキングでは、2024年、2025年と2年連続で1位を獲得している。
さて、その松井さん。「桐麺」継承以前にも支援するかたちでラーメン店を経営している。これもまた2020年のこと。
その頃、桐谷さんのほうはというと。
「桐谷さんは、『ラーメン人生JET』を卒業し、2014年に『桐麺』をオープン。オープン後間もなく人気店に駆け上がり、2019年頃には『桐玉』という、自家製麺を冷水で〆て、生卵と特製塩ダレをからめて食べるシンプルなメニューが大ヒットして」。
「私がラーメン店を経営することになった2020年頃には、桐谷さんは、超人気ラーメン店の店主でした。桐谷さんにラーメン店を開業することを報告すると、その後もなにかと気にかけてくださって」。
<縁はとぎれない?>
「そうですね」といって松井さんは話をつづける。
「ある日、桐谷さんからLINEをいただきました。その内容というと、『相談があるんや』って。なんやろって、首をひねりながら待ち合わせの十三の喫茶店に行ったら、『加西に家、買ったで。俺はラーメンに100%向き合って生きたい』って言われてました(笑)」。
松井さんは1996年、今でいう飲食激戦区の大阪市福島区に生まれた。
「父は元料理人。祖父が残したお金でパチンコ店を開業するんですが、失敗してしまいます。倒産するまでは幼いころは裕福だったんですが」と苦笑する。
兄弟は、男3人。
「兄の勝也は中卒でしたが、私は特待生で私立高校に入ります。特待生は入学金、授業料、修学旅行代もいらなかったから、公立に行くより賢い選択かなと」。
その後、松井さんは立命館大学に入学。
高校は学費がかからなかったが、大学はそうはいかなかった。
「高校も、大学も両親には一切迷惑をかけたくありませんでした。ただ、私立大学ですから入学金などのまとまった費用がどうしても工面できなかった。それで、兄に電話を入れました」。
<電話でなんといったんですか?>
「『大学に行きたいねんけど、100万円貸してくれへんか』って(笑)」。
<どうなりました?>
「『ええよ』って。細かいことは一切聞かないでね」。
兄弟愛といえば、それまでだが、たぶん、これが、兄、勝也さんの生き様。
「今、『株式会社double』を、兄といっしょにやっているんで、仲がいい兄弟に思われがちなんですが、じつはあの時まで、ぜんぜん仲もよくなかった(笑)」。
「それどころか、私は高校も卒業していない兄を正直見下してました」と松井さんはいう。「それが、あの『ええよ』の一言で、すべて反転したんです」。
あの日を境に、松井さんは兄、勝也さんをリスペクトの目で見始めた。
大学を卒業した松井さんは、勝也さんが役員をしている会社に入社。勝也さん同様、役員的な立ち位置で九州エリアを担当する。
松井さんは福岡をホームにして、つぎつぎと新店をオープンしていく。
「兄は大阪で、私は福岡です。2人で9店舗まで店舗数を拡大します」。
<破竹の勢いですね?>
「実際に、破竹の勢いとなるのは、その後、なんですが、とにかく、兄と私で9店舗まで拡大していきます。しかし、その後、コロナが始まってしまうんです」。
<それが一つの起点になった?>
「そうなんです。コロナで、どこもかしこも大変だったじゃないですか。コロナの正体がだんだんわかってきて。それで、余計に何が何かわからなくなって。私たちの店だって、だんだんお客様がいなくなって。でも、お客様はいなくなっても、私と兄を信じて入社してくれた仲間がいる」。
<でも、どうしようもない>
「そう、オーナー経営者じゃなかった。勝算のない中真っ暗闇に突っ込み、不安と戦っている自分達がいたんです。だから、全責任を背負って決断できるオーナー経営者になりたいと思い独立を決意しました。管轄店舗を9舗のうち7店舗を分割ですが買い取らせて頂いて、仲間といっしょに、コロナ禍で再スタートというか、改めてスタートを切ったんです」。
<それが2020年のことですね?>
「そうです。『株式会社double』を立ち上げて、私と兄の、互いの強みを活かして。暗闇のなかでアクセルを踏んで爆走していきます」。
「コロナ×地方」と、松井さんは勝利の方程式をそう表現する。
「都会といったら、大阪でいうとミナミとか梅田。そういう繁華街じゃなく、地方に戦略的に投資しました。都会じゃ『リモートだ、在宅だ』で、昼間の人口が減っていくわけですが、地方はそうじゃありません」。
地方でも、都会同様、抜群のロケーションで、かつ格安な物件が現れた。松井さんはつぎつぎと、それらの店舗の権利を獲得してオープンを重ねる。
財務は松井さんの担当。「いける!」と思えば、迷わずアクセルを踏んだ。
「おれらは背中を預けあった時は最強だと思っていたんです。もし、おれらがだめだったら、どこもだめだろうって」。
<ちなみに、2020年にはさきほどのラーメン店もオープンされていますね?>
「そうなんです、ええ男がパートナーでいたんで。独立支援という形でグループ会社化しました。コロナ禍でしたが、このラーメン店が大バズりするんです。コロナ禍にもかかわらず、連日、お客様が列をつくってくださったんです。もちろん、みなさん、マスクをして」。
「インスタが功を奏した」と松井さん。
「インスタが黎明期の、むちゃくちゃいいタイミングでした」。
片や最強のコンビが経営する「double」が驚異的なスピードで拡大をつづける。その一方で、小さく生まれたラーメン店が、コツコツと人気店舗への道を歩みだす。
ちなみに、最強のコンビといったが、スタンスは異なる。松井さんいわく「独立採算制」とのこと。「いざってときは兄弟ですからね。合体して、2人のパワーで切り開いていきますが、今は、それぞれが担当エリアと業態が独立していて、ライバルでもあります。その集合体が『double』という感じでやっています」。
今回、インタビューさせていただいた「桐麺JAPAN」は、松井さんが率いる独自の法人。創業者の桐谷さんは、取締役最高顧問でアドバイザー的な立ち位置で参画されている。
そして、兄の勝也さんは「株式会社food culture」を立ち上げ、東海エリアでマスターフランチャイジーとして「桐麺」の2店舗をオープン。弟の松井さんのフランチャイジー応援している。
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