2019年2月5日火曜日

松葉屋株式会社 代表取締役 宮南 譲氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”松葉屋株式会社 代表取締役 宮南 譲氏登場
本文より~

東大へ行け。

父の指令はまんざら無理難題ではなかった。「父は、教育熱心な人で、私は小学生の頃から塾通いを始めます。中学の時は、めざせ、東大です」。
そう言って笑うのは、料亭「松葉屋 赤坂本店」などを運営する老舗企業、松葉屋株式会社の代表取締役、宮南譲氏だ。
「小学校の頃はスポーツ中心で、野球やサッカーをしていたのですが、事故で足を骨折してしまってサッカーができなくなり、勉強の虫になりました。中学では、足が治り、サッカーを再開。東大をめざしつつ、スポーツでも手を抜きませんでした」。
文武両道?
「そうですね。才能があるというより、努力家だったと思います」。
高校は、慶應義塾大学の付属に進む。
「父に、『大学は医学部に入れ』とハッパをかけられ、高校1年の時は、かなり猛勉強するんですが…、さすがに、レベルが高く、白旗を上げるんです」。
「どうしても無理と父に伝え、あきらめてもらった」と笑う。
医学部に行くには、10段階評価で8.5以上が必要だったが、どうしても、とどかなかったらしい。2年から方向転換し、文系へ転じる。

あと2日休んだら…。

「1年からラクロス部に入っていたんですが、1年の時は勉強中心でした。でも、文系に移った2年からは、だんだんウエイトがラクロスよりになって/笑」。
授業にも顔をださなくなり、「あと2日休んだら、会議にかける」と通達までされている。それもあって、3年に進学する時にはラクロス部を辞め、改めて勉強中心の日々を送った。
「成績は、悪くはなかったですね。大学進学時には、高校の成績でどの学部に行くか決まるんですが、私は文系であれば、どこでも行けるような成績でしたから」。
もちろん、内部進学での話である。ここでも実は、父の助言を無視している。
「父からは経済学部へと言われていたんですが、進んだのは法学部でした。最初は弁護士をめざしたんですが、難しすぎて断念です」。
案外、結論を早く出すタイプだ。
ただ、次の目標はなかなか諦められなかった。
その目標は、パイロット。

セスナからジャンボへ。ただ、結局、セスナにも乗れず。

「大学2年の頃ですね。先輩に影響されて、パイロットをめざします。でも、JALやANAなどを受けるんですが、全敗。普通なら、もう断念しちゃうわけですが、父に相談して2年間アメリカの航空専門学校に進むことになります。セスナからジャンボへ。そういう段取りでした」。
なるほど。それで、アメリカへ?
「そうです。でも、進んだのは、ビジネススクールです」。
「多少わけがあった」と宮南氏。
要約すると、こうだ。当時付き合っていた彼女が反対する。アメリカに行くなら「籍だけ」でもとなる。それまでは、彼女の父親が何をしているか知らなかった。むろん、松葉屋の娘だとも知らない。
「むこうは娘3人です。彼女は長女。つまり、私は、跡取り婿の候補だったわけです。だから、アメリカくんだりまで行くのなら、『その前に籍を』ということでした」。
跡取り、つまり養子という話である。宮南氏は、両親と相談し、籍を入れた。アメリカの2年間は許されたが、「松葉屋」の跡取りに、パイロットの免許はいらない。だから、ビジネススクールに進んだ。彼女、つまり、奥様といっしょに渡米する。
その2年後、帰国した宮南氏は、次代の店主候補として、義理の父母が待つ「松葉屋」に就職。結局、セスナには乗れず仕舞いである。
・・・続き
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